from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

沈黙のらせん

ざつがく・どっと・こむ」から。

ある意見が主流であると感じられると、反対意見が口にされないまま、どんどん広がり目立つようになる。
沈黙のらせん、とそれを呼ぶ。1965年の旧西ドイツ連邦議会選挙を分析した政治学者ノイマンが立てた仮説だ。人は、自分の支持する意見が多数派あるいは支持増大中と思われるなら迷わず口にするが、異なると思われれば沈黙を守る。これが繰り返されることで、多数派がいっそう顕在化する。この仮説をふまえれば、今の支持政党ではなくどの政党が勝つと思うかと問うほうが、選挙結果に近い予測ができるという見方もある。
 人は、多数派に流される。それは、1950年代にアッシュが行った心理学実験で確かめられた傾向でもあった。この実験で被験者は、明らかに正しいと思われる回答でさえ、同席のサクラたちが口を合わせた偽りの回答に影響されて、口にしなかった。ヒトという生物が、原始より一匹狼でいるより集団で暮らした方が生き残りやすかっただろうことをふまえると、多数派に協調する心理が現代人の多くに持たれているのは当然ともいえる。
自分の表明した意見への応答が直接伝わるネット上では、少数意見は居づらい。増大する意見をさらにあおる「祭り」もある。それにマス・メディアがひきづられると、世の中の風景が単調になる。それへの懸念が、冒頭に紹介した発言につながったわけだ。自分たちが今、沈黙のらせんに陥っていないか、ぼくたちはつねに自覚的であらねばならない。らせんを抜け出すひとつの方法は、選択肢は白か黒だけじゃなく、多様にあるのではないかと問いなおすことだ。

「沈黙のらせん」って、まるで「デフレスパイラル」のよう。「デフレスパイラル」は留まっているようだけど、「沈黙のらせん」は進んでいるようだ。昨日のアフォーダンスじゃないけれど、人間は多様性を求める生物でもある。多様性を求めなくなったら、退化してしまう。