from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

芸術史講義の近現代レポートを提出した

5時頃に目が醒め、トイレに行ったが、息子はまだ帰ってきていなかった。ベッドに戻って眠れないでいると、玄関ドアを開ける音がした。

7時頃に起き、テレビを見ながら、朝ご飯。

朝ご飯後、「キュビスム芸術史」を再度読んで、芸術史講義の近現代レポートの最終修正。9時半頃に諦めて、レポートを提出した。

12月に受ける水墨画の授業に必要な筆と紙をネットで注文して、10時半過ぎに図書館に「キュビスム芸術史」を返却に行った。返却後、予約しておいた「どこからそう思う?学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル シンキング ストラテジーズ」を受け取り、さらに日本画関連の本を借りた。

帰ってきて、11時半過ぎからハンバーグを焼き、息子を起こして、昼ご飯。

1時から、ZOOMで教員面談会。日本画での直線の引き方を聞いた後、技術が未熟なままでの今後の絵の描き方について質問した。

1時半過ぎに面談会が終わり、2時頃にうちを出て、バスに乗って武蔵野市民文化会館へ。昨日申し込んだお芝居のチケットを受け取り、吉祥寺駅へ。昨日飽きらめた散髪に行った。今日は二人待ちだった。

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散髪が終わり、駅前をちょっとウロウロして、鯛焼きを買った。空を見上げると、ちぎれ雲?が。

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帰宅して、また寝ていた息子を起こして、鯛焼きを二人で食べた。

「どこからそう思う?学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル シンキング ストラテジーズ」を読み出した。なかなか面白い。

6時頃に息子は先輩と夕飯を食べて来ると言って、出て行った。

6時半過ぎに起きから、豚肉の生姜焼きの準備をして、シャワーを浴びた。

豚肉の生姜焼きを作って、夕飯。

夕飯後も、「どこからそう思う?学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル シンキング ストラテジーズ」。

作品を驚賞すること、特に、鑑賞者の関心や発達段階に即した作品をみることは、本質的に興味深い行為であるはずだ。誰かがわざわざ描き留めた作品の主題の多くは、人間そのものへの関心が含まれているからだ。だから、私たちの券線に触れる。そう考えると、アートと宗教が密接な関係を持っている理由も推測できる。精神的なメッセージを伝えるためには、相手の目と頭だけでなく、心にも訴えかける必要があるからだ。アート作品はそれを可能にする。みる側に受け容れる態勢が整っていれば、魂の糧さえ得ることができる。このことから何か基本的な、人間の本質のようなものがうかがえる。

私たちが幼児期から行っている、みたいという衝動が、みごとに報いられたのである。

とはいうものの、今日アート作品の多くは教会ではなく美術館か画廊に所蔵されている。家の壁に飾るという人もいるかもしれないが、大多数の人は日常的に作品に接しているわけではない。このような状況が、アート作品を鑑賞するためには専門知識が必要だという風潮を生んでいる。

人々の生活とアートが乖離している今日の状況は、それほど遠くない過去には考えられないことであった。キリストの磔刑を描いた絵画やアメリカ先住民の仮面といった、今となってはアート作品として美術館に収集されているものも、完来は宗教や儀式に用いられていたものが多い。ここ数世紀の間にアートの役割は、社会に深く根づいた価値観を映し出すものから、アーティスト個人の感情やアイデアを表現するものに変化してきた。特に革新的なアーティストたちの多くは、自分が創り出すものと私たち一般人との間にある開たりに配慮することなく、孤独の中で制作を続ける。その結果、装飾的な作品をのぞいて、美術館で目にする多くの作品が、私たちの日常からかけ離れたものになっている。