from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

マンカラは3回戦で負けた

samso2009-02-07

パソコンに向かっていると、7時前に息子が起きてきて、テレビを点けた。「ピタゴラスイッチ」と「南の島の小さな飛行機 バーディー」を見ていた。その間に朝ごはんを一人で食べた。そのあと、Tさんが起きてきて、妻が朝食を作った。
温泉にTさんを連れて行きたいと妻が言うので、以前行ったことがある二子玉川瀬田温泉を勧めた。時間があったら、世田谷美術館にも行ってきたらと伝えた。
妻たちは9時半ごろ、出かけた。また水が濁ってきていたので、ボトルアクアリウムの水を入れ替えた。またエビが1匹死んでいた。入れ替え五後、日差しがあったので、窓際にボトルを置いた。

息子が今日マンカラ大会に出るというので、どんなゲームなのか知るためにお皿を持ってこさせ、生き残り大作戦のボールとナッツで豆代わりにして、息子にマンカラのやり方を教わった。息子は特に強いわけでなく、勝負は互角だった。
外に行きたがったので、11時過ぎ、野球のボールとグローブとサッカーボールを持って市民公園に出かけた。市民公園では排水工事が始まっていて、半分使えなかった。またその残りの半分を少年サッカーのクラブの子たちが練習で使っていた。木立の下で、キャッチボールとサッカーをやった。あっと言う間に12時過ぎになり、うちに戻った。
うちに帰ると急いでお昼ご飯を作り、息子に食べさせた。おやつをしっかり食べていたため、息子はおしゃべりばかりしていてなかなか食べなかった。
マンカラ大会が始まる1時5分前にうちを出た。「あそべえ」に着くとすでに大勢の子どもたちが集まっていた。息子がその輪の中に走っていったのを見届けて、うちに戻った。
水泳教室のかばんを持って、1時半前にうちに出て、息子を迎えに行った。マンカラ大会の表彰式が始まっていた。息子に声を掛けるとやってきた。「どうだった?」「まけた」「何回勝った?」「3かいせんでまけた」。奥に張ってあったトーナメント表を見ると4位になった子に負けたようだった。
自転車で水泳教室に向かう途中、「ゆうしょうしたのは1ねんせいだよ」「何年の子まで来てたの?」「5ねん。きょねんも1ねんせいがかったんだって」。
水泳教室に着くと、友だちになったらしい子に息子は声を掛けられた。二人が話しだしたので、水泳教室を後にして、コーヒーショップに行った。水泳教室が終わる10分前に戻って見学室で少し練習の様子を見た。
5時前にうちに戻ったが、妻たちはまだ帰ってきていなかった。電話をするがでない。5時過ぎにようやく電話がかかってきて、これから買い物をすると。ご飯を炊いておいて言われたので、炊飯器をセットした。
5時半過ぎに妻たちは戻ってきて、夕飯の用意を始めた。どうだったと聞くと瀬田温泉はすごく良かった、世田谷美術館には入らず、砧公園内を散歩してきたと。
ピンポンと鳴ったので、夕飯に来ることになっていたBさん家族だと思い見に行くと、お隣に引っ越して来られた方が挨拶に来られたのだった。
6時半過ぎにBさん家族がやってきた。インフルエンザにかかっていたと聞いていたので、Bさんに聞くと、ひどくなって肺炎にかかってしまったとのことだった。咳をするときに骨が折れるのでないかと思ったと。
妻たちが作った野菜料理と買ってきた刺身とBさんの奥さんが作ってきた生春巻きをいただきながら、Tさんの話を聞いた。広大な土地にヤギや羊を飼い、必要な野菜のほとんどを作っているTさんの生活ぶりにBさんも興味があるようだった。
Bさんの体調がイマイチということで、8時半過ぎにBさん家族は帰っていった。息子が妻が買ってきた石榴を見つけて、「たべたい!」。イスラエルで毎日のように食べるらしい石榴をTさんが割って果肉の粒をほぐした。やさしい甘さでいくらでも食べられる感じ。そのあと息子は「もっとたべたい!」と言ってポンカンとバナナを食べた。