from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

相対的強者

「不二家」化する日本(内田樹の研究室)』。

国際関係論では、このラットレースで負けることを「リスク」、レースの行われるアリーナそのものが消失するような規模の破局に際会することを「デインジャー」と呼ぶ。予測可能・考量可能な危険と、予測不能・考量不能の危険。この二種類の危険を私たちは生き延びる上で勘定に入れておかなければならない。
育児とは尽きるところこの二種類のリスクヘッジを適切に行って子どもを生き延びさせることである。
現代日本の育児戦略に異常が生じていることは、どなたも分かっているはずであるが、どこに異常があるのかはよく見えない。これは父親主導の「晴天型モデル」がドミナントな育児戦略となって、母親主導の「荒天型モデル」が発言力を失ってきたことの結果だと私は見ている。つまり、「システム内競争」に育児リソースの過半が注がれ、「システム・クラッシュのときに生き残るための資質の開発」にはほとんどリソースが割かれないということである。
先ほども書いたように、父親は子どもを「相対的強者」たらしめようとする。それは言い換えると、誰でも努力さえすれば競争における相対的優位に立てると父親が信じているということである。受験や、就職や、配偶者の獲得や、出世といった無数の競争に私たちはさらされているが、私たちがこのような競争に熱中できるのは、「日本というシステム」そのものは当面安定的に継続してゆくだろうということについての信憑が成り立っているからである。私はこの楽観を「晴天型モデル」と言っているのである。