from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

改革の果ての衰退

NBonline2008年を斬る:ニッポン再設計、待ったなし 閉塞を打ち破るのは日本人一人ひとりの行動のみ」(工藤泰志)

私は、小泉元総理から始まった日本の改革が暗礁に乗り上げたように見える理由は2つあると思っている。1つは「壊す改革」から「組み立てる改革」への転換ができないことだ。
元東大総長の佐々木毅氏は、言論NPOのウエブで「小さな政府が、何もしない政府になっては話にならない」と発言している。
業界とつながって保身を図ったり、そのために国民生活に重大な影響を及ぼすような霞が関の構造は解体すべきだ。しかし、ただ単に官僚を叩くだけでは何も生み出せない。仕事をするための新しい仕組みと組み合わされて改革を進めなければ、それこそ「何もできない政府」になってしまう。それが今の官僚の中にある閉塞感でもある。
もう1つは、改革の結果として「目指すべき日本の姿」について合意を得る努力を怠り、全てを競争原理で語ろうとしたことだ。
多くの人は2つの日本像を頭の中に描いている。競争至上主義で勝ち抜いた者が勝利を収める社会と、互いが助け合ってその目的を実現する社会である。競争と共生。ある意味でその線引きを動かすことがこれまでの構造改革だった。
改革への逆風が強いのは、その全てに競争が持ち込まれ、その大部分が敗者になり始めたからだ。共生の社会は日本の伝統の社会だが、国に依存し、保護される仕組みだとすれば持続性はなく、衰退するしかない。その自立と経営をどう実現するのかが問われているのである。