from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

「透明・公平で効率的な平等化の仕組み」と「定常志向」

論座2005年2月号「この十年の日本政治」(山口二郎)から。

従来の日本的平等は、裁量的政策により非効率や腐敗をもたらしたところに問題があるのであって、平等の理念自体が間違っていたわけではない。小泉政権三位一体改革財政再建のつけを地方に回すことを目指すものであって、このままでは補助金地方交付税の削減は平等化や財源再分配を縮小することにつながる。これからの日本に必要なのは、透明・公平で効率的な平等化の仕組みである。これを実現するためには、地方に対する財源の再分配に関して単純で分かりやすいルールを作り、従来よりも絶対額においては小さいが、使途を自由に決められるという意味では利用価値の大きな財源を使って、各自治体が自由に政策展開できる環境を創り出さなければならない。

「第8回未来生活懇談会」の「広井良典氏(千葉大学法経学部助教授)の発言」から。
から。

  • 戦後の日本は企業、官庁、経済システムあらゆるものが「成長」という目標に向かって編成されていた。現在、メディア等でマイナスの面が強調されているが、閉塞感の根底にあるものは成長にかわる新たな目標がないからではないか。
  • 社会を分けるのに大きな二つの対立軸がある。一つ目は「大きな政府」か、「小さな政府」か。もう一つが、「成長」志向か、「定常」もしくは環境志向か。前者は「富の分配」をめぐる対立軸、後者は「富の大きさ」をめぐる対立軸である。かつては、成長志向の中で大きな政府か小さな政府かで議論があったが、70年代80年代からは成長志向か定常志向かが注目され始めた。大まかに言えば、ヨーロッパが大きな政府で定常志向なのに対し、アメリカは小さな政府で成長志向であるといえる。
  • 定常型社会とは、経済成長を絶対的な目標としなくても十分な豊かさが実現されていく社会である。人口減少と環境制約という二つの要因からその重要性が考えられる。日本でも2006年以降人口が減少していくという推計もあるのでこの定常型社会は重要である。
  • 定常型社会への批判として、進歩のない退屈な社会だという意見もあるが、例えばCDのヒットチャートを見れば、売れる総量は変わらなくても毎週ランキングに登場する曲は変化していている。これと同様、定常型社会においても量的変化はなくても質的変化はある。資本主義の原理と相容れないという意見もあるが、日本ではすでに物的な欲求と言うのは飽和状態に近いし、マクロの定常化と個々の企業の利潤追求は両立する。また失業との関係でも成長による解決には限界があるのではないか。失業があるからと言って経済成長をするために政府の景気刺激策をしても財政赤字が残るだけである。

社会保障給付費(対GDP比、%)の国際比較では、日本はアメリカと同程度に低い。なぜ低くても問題にならなかったのか。「それは第一に、終身雇用型の「カイシャ」や家族が“見えない社会保障”としての機能を果たしてきたこと、第二に公共事業が“職の提供を通じての生活保障”という形で事実上社会保障を代替する役割を担ってきた」(論座2005年2月号「家族・会社にもう頼れない」から)。からだそうだ。