from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

市場主義と資本主義

日本経済新聞「市場主義が守る価値」から。

二〇〇七年は反改革の年になった。市場主義は保守派からは「伝統を壊した」といわれ、進歩派からは「格差を広げた」と批判された。右も左も同じことを言う一種危険な言論状況が生まれ、市場主義改革を支持する主張はほとんど無視された。そして財政を再強化しようという動きにブレーキがかからなくなった。エリート(官僚や政治家)が資源配分の主導権を握る社会に逆戻りしかねない事態である。
市場原理の本質はエリートではない無数の個人の様々な自発的な活動が経済の原動力になるところにある。言い換えれば、自らの人生を切り開く機会がみんなに与えられる。成功者に既得権はなく、誰でも彼に挑戦できる。拝金主義をあおるとかいわれるそうではなく、市場主義は自由や公正といった価値の実現をめざす思想ともいえる。
また、個人の力を引き出す市場主義原理こそが望ましい資源配分を導き、経済や社会を活気づけることをわれわれは経験則として知っている。
経済の構造変革期にはいつもそうだったように、いまもグローバル化や技術進歩についてゆけず、市場競争に取り残される人が出ているのは事実である。だからといって市場ではなくエリートに資源配分を委ねれば、ハイエクが指摘したように、個人の自由は隷属を強いられ、公正も損なわれる。
現に二〇〇八年度の政府予算では、「格差是正」に名を借りて政治家が既得権者向けの予算増を勝ち取った。既得権益を守る規制の撤廃をめざした規制改革会議の第二次答申も、官僚に骨抜きにされた。

世に倦む日々『報道のTBSは死なず - 「サンデーモーニング」の資本主義批判』から。

年末特集で長時間枠の放送をやっていたので、TBSの「サンデーモーニング」を見たが、素晴らしい企画と構成になっていて、驚きながら最後まで見た。これこそまさに報道のTBS。こういう番組を見ることができると、ほんの一瞬ではあるにせよ、日本人らしい年の瀬を過ごせたことを実感する。そして、先に結論を言えば、必ずこれから世の中は変わる、新自由主義を否定して、人間の社会権を認める福祉国家の方向に転換を遂げて行くことを確信した。私は、HPを書いていたときがちょうど十年前で、その頃は全く無名の存在で、今のように誹謗中傷専門のネット左翼から常時監視される対象ではなかったが、新自由主義を批判しながら、それがこれからどんどん日本で広まり、社会のシステムを変えて行くだろうと思っていた。暗澹たる将来を漠然と予感していた。振り返れば十年はあっと言う間だった。渡部昇一が書店でハイエクを宣伝し、加藤寛と嶋田晴雄と竹村健一が週末のテレビでフリードマンを礼賛していた。気鋭の竹中平蔵人頭税導入を言っていた。
特集のテーマは「格差と環境」だった。格差拡大と環境破壊、それが一つの同じ原因によって惹起されている社会問題であり、日本だけでなく全世界で同時進行している危機であり、それに対して日本人が緊急に立ち向かう必要があることを訴えていた。格差拡大と環境破壊が18世紀に英国で興った産業革命に端を発し、二度の世界戦争を通じて人類が繰り返してきた歴史的な社会悪であると捉えつつ、同時に、最近の危機が特に新自由主義によって齎され、世界中で災禍と被害を深刻化させている現実を正面から見据えていた。フリードマンの映像が流され、新自由主義とは何かが解説されていた。また、新自由主義が日本で猛威をふるう時代の経過を、日米構造協議と小泉政権の映像から説明し、その中心的役割を担ったのが竹中平蔵であるとする指摘もきちんと入っていた。問題意識として核心を外さず衝いている。ここまでクリアに新自由主義を批判した番組は民放ではめずらしい。
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何が格差拡大と環境破壊を人類と地球に齎したのか。産業革命以来の歴史に遡って格差と環境の根本を告発するのなら、そこに一個のキーワードが与えられなければならないのに、番組ではその言葉がなかなか出て来ず、私はテレビの前で切歯扼腕していたが、ようやくそれを寺島実郎が言葉にして発した。それは「資本主義」だ。これまで多様な世界で、人々が自然と共存しながら、貧しくても仕事と誇りを持って生きていた状況を一変させたのは、資本主義の興隆と発展である。西欧資本主義によって、自然環境は工業資源とされ、人々は労働力資源とされ、社会は市場と変えられ、資本の蓄積と循環にとって目的合理的な存在へと変えられた。生き方と在り方を変えられたのだ。
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格差拡大と環境破壊と、その矛盾の窮極の爆発である世界戦争と、その失敗と悲劇の繰り返しの中で、人類は知恵を出して社会福祉の制度を組み上げ、福祉国家のモデルを考え、戦後日本もそれで運営してきたのに、80年代半ばから新自由主義の考え方を導入してそれらを壊した。

アヴェスターにはこう書いている?「フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』(その3)」から。

近年の日本で競争することや規制緩和が推奨されるとき、それはブローデルの「市場」を想像させる。しかし、それが実現されるものはブローデルのいう「資本主義」の純粋型に近いものになる。その意味で、近年のネオリベラリズム市場原理主義と言われるが、ブローデル的な意味では「反・市場」のイデオロギーであり、「資本主義」のイデオロギーである。
ネオリベが資本主義だというのは、自然に聞こえるが、それが「反・市場」であると言えば、違和感を感じる人が多いに違いない。それを的確に示しているところがブローデルの分析の優れたところであると言える。
ネオリベイデオロギーは、「公平で公正で透明な市場」という幻想を振りまきながら、「特権階層による支配」を徹底するのである。