from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

伝統の捏造

中央公論4月号「日本はかつて離婚大国だった」(加藤秀一)から。

一部(といっても少なからずの数の)政治家たちが、両性の平等を謳った憲法二十四条を改正して明治時代のような家父長制家族を復活させようともくろんでいることも周知の通りである。彼らはさかんに日本の麗しき「伝統」を言い立てるが、実は結婚・離婚の歴史にはまったく無知であり、明治政府が中央集権的な国家体制の土台とするためにしつらえた特異な制度を、あたかも日本の唯一の「伝統」であるかのように偽装し、祭り上げているにすぎない。それはいわゆる《伝統の捏造》のありふれた一例である。実際には、結婚とは国家に届け出るものだとか、夫婦は同じ苗字を名乗るべきだとか、男は仕事で女は家事・育児だとか、家長=男の意志に従うべきだとか、一度結婚したら不満を持たずに添い遂げるべきだとか、そういったことはすべて明治政府がごり押しした近代化政策の産物にすぎないのあって、日本列島に生きる民衆たちが日々の生活の中で数百年をかけて醸成してきた奥深く綾なす文化の連なりとは別物なのである。

無知じゃなくて、そういうことはどうでもいいと思っているからだろう。