from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

愛国心

萬晩報「他国を譏らない愛国でありたい
司馬遼太郎さんの小説『菜の花の沖』を読んでいてなるほどと思わせる一節があった。19世紀、日本がまだ開国に到らない時期、淡路島の水夫から身を起こし、蝦夷地と上方とを結ぶ大回船問屋に発展させた高田屋嘉兵衛の一生を描いた小説で、愛国心ということについて語っている。
愛郷心愛国心は、村民であり国民である者のたれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」
なにやら昨今の日中韓でのいがみあいに似てはいないだろうか。そのむかし筆者も日本ほど愛国心の足りない国民はいないのではないかと嘆いたことがある。だが、このところ台頭している“愛国”的言動についてはちょっと待てと言いたい。司馬さんが書いているように「ことさら火をつけようと」しているような気がしてならないからだ。
司馬さんは小説の中で主人公の嘉兵衛に「他の国を譏(そし)らないのが上国だ」とも言わせている。なかなか含蓄がある。中韓が日本を譏り、そして日本が中韓を譏る。そんな構造が生まれている。

日刊!ニュースな本棚『時代遅れの「愛国心」――広田照幸インタビュー其の一』から。

――広田さんの本のなかでも出ていますが、NHKの意識調査では、「日本に生まれてよかった」という人は9割を越え、「国を愛する気持ちは強い」と思っている率も安定して5割前後で推移しています。総合誌も売れているのは、右のものばかり。さらに最近では、ことの是非はおくとして、ナショナリズムの高揚を危ぶむ声も多くなっています。だから、広田さんの「愛国心はすでに十分すぎるほどある」という指摘はその通りだと思うんです。
  つまり、愛国心がものすごく希薄なら教育基本法改正案の理屈はわかるんですけど、現状はその逆。それなのになぜいま、と思うんですが。

広田 大きく二つの背景があると思うんですね。
  まず冷戦体制が80年代末に終焉して、左右の対立構図が力を持たなくなった。愛国心は最近出た議論ではなく、1950年代にも60〜80年代にも教育基本法を改正したいという人はずっといたわけです。でも冷戦の時代には、それに対する歯止めが左の側からありました。ところが冷戦の風化と終焉によって、左翼勢力が退潮し、左側からの歯止めがきかなくなってしまった。パワーバランスが崩れて、保守側のほうに軸が振れていってしまったんですね。
  もう少しいうと、日本では社会民主主義がうまくイデオロギー的に定着してこなかったんですよ。60年代初頭に、社会党のなかで構造改革論争というのがあって、社会民主主義路線が出されたんだけど、党内の論争で負けちゃった。そのために階級対立路線というのがずっと続いて、極端に左寄りのまま高度成長期を終えてしまったわけです。
  だから、左翼が現実主義的な方向へ動いて社会民主主義を再評価しようと思った時には、もう時すでに遅しで、保守の新しい「小さな政府を目指せ」というイデオロギーが非常に強くなっていた。そのため、平等を重視した社会設計という理念が、現在の新自由主義的・新保守主義的なものに対するカウンターとして、十分に力を持てない状況が生み出されてしまったんです。
  それからもう一つは、90年代に入っての経済のグローバル化があります。国際競争の圧力が強まるなかで、「日本は生き残れるのか」という漠然とした不安が、社会の中に広がっているのではないかと。とくに東アジアの国々が力をつけてきて、これまでとは違う関係のステージにだんだん入り込みつつあると思うんですよね。そのときに、どうしていいかわからないというか、旧来型の考え方の延長上で、ナショナルなものへの求心力を求めるような圧力が生まれているような気がします。