from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

民営化の失敗

これから求められるのは、公共サービスの排除ではなく、質の高い公共サービスの追求なのではないかと思う。
国際公務労連(PSI)の「質の高い公共サービス」から。

民営化が失敗に終わったという話は山ほどある。もっとも明白な事例のいくつかは上下水道事業に見られる。しかしもっとも多くを物語る事実は、サービスを改善する方法として民営化が長年奨励されてきた結果、世界のもっとも富める者と貧しい者との格差がさらに2倍も広がったことである。水、教育、保健、住宅、交通などの生活に不可欠なサービスを受けられない人は夥しい数にのぼる。多くの場合、これらのサービスの民営化は、農村社会などの利潤のあがらない地域から撤退することや、料金が課されることで貧しい人々の手に届かないものになってしまうことを意味した。
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公共部門の「改革」は、含みのある言葉になってきた。政府によってこの言葉がコスト削減、労働強化および民営化の過程を表現するものとして使われる場合があまりにも多い。
「改革」とは本来、改善と進歩的変化を生じさせることを意味する。
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英国で最近出された監査報告によると、PFIのもとで契約が結ばれる時点ではコストが実際より少なく見積もられることから、実際にかかった予想外のコストを埋めるためにサービスが削減されるなどの深刻な問題が発生している。
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一部の政府はイデオロギー的に市場主義的手法にのめり込んでいる。彼らの改革アジェンダは、市場で高い値がつくように体裁を整えることなのかもしれない。ある政府は、このイデオロギー的手法を「イエロー・ページ・テスト」と称した。すなわちサービスを提供する能力のある会社が職業別電話帳(イエロー・ページ)に載っていれば、政府がわざわざそのサービスを提供する必要はないという意味である。そのようなテストは、なぜ政府がかかわるべきなのかという理由のなかで市場以外の要素をすべて無視している。たとえばコミュニティの将来のための投資とか、サービスをすべての人に保障すること、利用しやすさ、公平性などである。世界銀行と国際通貨基金は、彼らの手法に問題があることを示す証拠が挙っているにもかかわらず、必死に民営化を促進し続けており、2004年の世界開発レポート草案のなかでさえも、公共部門の最悪の事例と民間部門の最良の事例とを比較させて論じている。