from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

見事な「小泉改革」評

JMM小泉改革をどう評価すればいいか」から。

小泉氏は「政策」よりも「政局」の人でした。政治家的な駆け引きに於ける勘と決断力は極めて優れていたと思います。彼は、「改革」という言葉の響きとイメージを気に入っていたのでしょう。しかし、「構造改革」という言葉を体系的な定義を意識して使っていたとは思えませんし、政策としての構造改革を本気で推進したとも思えません。たぶん、「新自由主義」などとと言われても、それが何なのかを説明できないでしょうし、小泉内閣時代に官僚の人事制度について改革が進まなかった事に関しては「仕方がなかった」と思っているのではないでしょうか。
決めつけが過ぎるかも知れませんが、彼の主目的は彼の政敵(自民党内の旧田中派)の力を削ぐことにありました。郵政民営化公共事業の縮小もその路線上にあったように思えます。その際に、旗印として「構造改革」或いは「改革」という言葉を
自陣営のものとする一方で、敵方を「守旧派」「抵抗勢力」と名付けたキャンペーンの上手さに小泉氏の力がありました。
一方、政策としての「構造改革」の多くは、既に「橋本行革」(橋本内閣が目指した一連の行政改革)の中でその方向性が示されていました。実は、「小泉構造改革」は「橋本行革」を乗っ取って看板を替えたものでした。「フリー・、フェア、グローバル」をキャッチフレーズに市場の活用と規制緩和を意識した「日本版ビッグバン」の実施もそうでしたし、小泉氏が郵政民営化の理由として強調した郵貯財政投融資の財源になるお金の流れも、財投改革によって、郵政民営化以前に既に変化していました。
小泉氏の看板政策だった郵政民営化は、そもそも民営化へのスピードが遅く、本来なら廃止(事業売却)が望ましかった郵貯簡保を残すなど、政治的なリーダーシップが十分発揮されない期待外れの展開になりました。現時点で民営化を元に戻す方が良いわけではないでしょう。しかし、官業として存在した機能と雇用をそのまま残しつつ看板を「民営」とする中途半端な「日本郵政株式会社」を、しかも銀行協会会長時代は郵貯廃止を主張していたはずの西川善文社長が経営しているというのは荒唐無稽な漫画のような展開です。

これは、山崎元氏の評価。未だに「小泉の改革は評価に足るもの」と「小泉改革」を評価する人がいる。