from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

パラダイス的にみえる国

「Tech Mom from Silicon Valley」の「パラダイス的新鎖国時代到来? - いいのかいけないのか?(その1)」から。

毎年夏の日本での休暇のため。毎年夏に帰るごとに、「日本はどんどん住みやすくなっていくな・・」とぼんやり思っていたが、今年の夏は決定的に、「日本はもう住みやすくなりすぎて、日本だけで閉じた生活でいいと思うようになってしまった」、つまり誰からも強制されない、「パラダイス的新鎖国時代」になってしまったように感じたのだった。
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文化面だけでなく、携帯電話やブロードバンドなど、生活に密着した技術の部分では、もうアメリカより日本のほうが進んでいると見える。わが家の8歳の息子でさえ、駅にずらりと並んだハイテク自販機や自動改札を見て、「日本のほうが技術が進んでる」を持論としている。日本の家は相変わらず狭いけれど、一歩外に出ればものすごい量の商品の並ぶ店やおいしいレストランがいくらでもあり、公共サービスも充実してきたし、一時ほどモノの値段も高くない。

「My Life Between Silicon Valley and Japan」の「ジョブズのスピーチ、Googleと自動翻訳の世界、日本の「パラダイス鎖国」状況のこれからは? 」から。

時間を気にせず気ままに暮らしていて、「腹減ったなぁ」と思ったら、深夜であろうと早朝であろうと、ちょっと歩けば何かが食える、生活必需品もたいていのものはコンビニで手に入る、という東京の便利さを「当たり前」と思うと、他の国は皆不便に見えてしまう。
やっぱり日本の「パラダイス鎖国」状況は、これからさらに磨きがかかっていくんだろうなぁ。

「パラダイス」ということより「鎖国」の方に力点が置かれている話ではあるが、海外に住んでいると、日本はパラダイスにみえるということについては疑わないようだ。上海から戻ってきた直後は私もそうだった。東京は、世界一コンビニエンスな都市であることは確かだ。お金さえあれば、膨大なバリエーションの中から好きなモノを選んで、簡単に手に入れることができる。でもこんなことでパラダイス感は長続きはしない。何でもすぐに手に入る世界に入り浸ると、刺激や感動はどんどん希薄なものになっていく。
TI技術の発達がもたらしてくれるものは情報のコンビニエンス化だ。いつでもどこで情報が手に入る便利な世界。退屈な世の中になることはないのだろか。
コンビニエンスなことがパラダイス的にみえると言ってもそれはお金がある人にとってはいうこと。アメリカほどではないにしても格差社会になった今の日本では、社会的弱者、いわゆる負け組に入ると、パラダイスだなんて思う人はいないだろう。勝ち組の人たちにとって、パラダイス的な世界を維持するためには、負け組をどんどん増やさないといけない。いずれは、1割程度の勝ち組グループが他を支配する世になるかも知れない。