from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

ついていない

samso2005-06-07

朝から今にも雨が降りそうな空模様だったが、一日雨は降らなかった。
明日生協の牛乳の配達日だから、牛乳瓶を外に置いてあるクールボックスに入れておこうと持って行ったら、牛乳が入った瓶があった。何でと思ったが、土曜日に配達されたのを取り込むのを忘れていたようだ。蓋を開けてみると、やはり一部が固まっていた。腐ったような匂いがしないので、ちょっと飲んでみた。飲めなくはなかったが、不味くなっていたので、諦めた。
夕方、自転車で商店街に買い物に行き、買い物をしてから、自転車を何処に置いたかなとちょっと探した。すぐに見つかったが、なんだか変。荷台に巻き付けてあった紐がなくなっていた。自転車を停めた場所は人の往来の多い場所。買い物に出る前になくなったようだ。自転車は建物の1階の中にある駐輪場に置いているから、通りすがりでは盗れないはずだけど、なくなった。
子供が夕ご飯を食べ終わらないで、遊びだした。何回言っても食べ出さないので、叱った。泣き出したが謝らない。放っておいたら、15分ほどしてから、「パパ、ママ、ごめんなさい」と言ってきた。夕飯後、三人で体育館まで散歩に出た。体育館では年配の方が社交ダンスをやっておられた。子供が遊具が置いてある場所で遊んでいる間、図書館から借りた内田樹「おじさん」的思考』を読んでいた。
大映画祭の話をしたあと、『「ベネチア、カンヌ、ベルリン」という三つの都市名を見て、みなさんは何かを連想しないだろうか』と書かれていた。その答えは、「日本と第二次世界大戦で同盟した都市」とあった。「フランスの憲法上正統的な政権は一九四五年五月のナチスドイツ瓦解まで、対独協力のヴィシー政権だった」と。まったく知らなかった。戦後間もない頃に「日本映画に栄誉ある賞を贈ったのは」、映画のクオリティの高さ以外に映画祭の主催地の人達で日本に対して嫌悪感を抱かく人がいなかったことの影響も大きい。仮に「北京映画祭」というものがあって、『羅生門』が一九五〇年にグランプリを取るということがありえるかと。