from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

メリルリンチ日本証券の菊地正俊さんが、JMM

たまたま先週、北京を訪問する機会がありました。日本のマスコミ報道を見ている
と、この時期の中国訪問は危険に感じられましたが、ビジネスは極めてノーマルに営
まれており、危険は感じませんでした。
・・・
北京近郊に5件目の店をオープンしたばかりのイトーヨーカ堂には人が溢れていました。
一部の日本企業は襲撃を恐れて看板を隠し始めたと報じられましたが、それはほんの
一部の動きであり、日本企業の宣伝が多く見られました。歴史教科書の改訂に協力し
たとの誤報から不買運動が広がったと報じられたアサヒビールも、地場スーパーの店
頭に置かれていました。北京では45店舗を運営する吉野家の店舗が目立ましたが、
デモの通り道以外の店舗では悪影響が出ていないということでした。

と。中国に進出している企業は、ビクついてばかりいないようだ。

立花隆:中国の反日デモを挑発した小泉首相の政治責任を問う」に、

60年の反安保デモはしばしば反米デモとなり、「アメリカ大使館に行こう」のかけ声でデモ隊がアメリカ大使館にワッとおしかけ、上海の反日デモどころではない激しい反米デモを繰り広げた。安保締結を記念してアイゼンハワー大統領が訪日し岸首相と会話するということになり、その下見にハガチー秘書官がやってくると、羽田空港を出たところでそれをデモ隊の大群がとりかこんで車をボコボコにし、ハガチー秘書官はヘリコプターで危く空中脱出という映画のような場面があって、アイゼンハワー訪日は中止になった。
・・・・
あの激しい時代を知っている層にとっては、上海の反日デモなどかわいいものである。いま東京の歩道には、石などひとかけらもなく、石を投げようと思っても投げる石が見つからないが、あの頃、東京の歩道にはくまなく、その少し前に撤去された都電の線路をはさんでならんでいた舗石が歩道に移されて歩道の舗装に使われいたから、その辺いたるところに、大きな敷石があった。

と。忘れていたけど、あの安保デモはすごかった