from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

インド人みたいでしょ

テレビを点けると、天気予報で東京の最低気温が今年最低の0.5℃と言っていた。子どもと外に出ると風がなく、それほど寒くはなかった。保育園に着いて枕カバー付けを手伝わせるが手が動かない。手伝おうとすると「じぶんでやる」。「もう行くよ」と言うと「くるりんぱ」。外に出ると「パ〜パ」と言って走ってきて「これ」と言って集金袋を持ってきた。
三鷹駅に着くと、保安設備の故障とかで東西線が止まっていて、ホームに人が溢れていた。遅れてやってきた総武線に乗ったら、意外に早く発車し、遅刻することはなかった。
8時過ぎに会社を出て家に電話。「ママ?パパ?」「パパだよ」「なんじかえる?」「9時」「ご飯食べた?」「たべた。ばいば〜い」。うちに着くと、寝室でシルバー人材センターの人と電車で遊んでいた。リビングはくじらが横たわっていた。「きょうもくじらつりをしたんだよ」「すごい散らかっているね」。「お顔どうしたんですか?」とシルバー人材センターに聞かれた。「手をポケットに入れていて転んだんですよ」「そうでしたか。どうやってあんな怪我をしたかと思ったんですが。インド人みたいでしょって言ってました」「ああ、鼻の上が赤くなっているからね」。「これみて。とぶよ」と言ってゴムで跳ねる紙を見せた。シルバー人材センターの人がお帰りになると「あっ、おしごとするのわすれてた」と言い、リュックから使ったタオルを出した。保育園の連絡帳を見ると、「今日は実習生と制作でぱっちんガエルをつくりました。まだ自分のが出来上がっていないのに、“できない”というお友だちのを手伝おうとしていた優しい○○くんです」と。
シャワーを浴び終わった頃、妻が帰ってきた。「もう寝るよ」と言うと「おなかすいた」。妻がもらってきたクッキーを出したものだから、「たべる」。今日の絵本は、

チョコレートだいすき! (しりたい!たべたい!つくりたい!おいしいたべものえほん)

チョコレートだいすき! (しりたい!たべたい!つくりたい!おいしいたべものえほん)

五百年いじょうも まえ、メキシコの アステカ王国のひとたちは、いまと ちがって、チョコレートをのんでいました。その名はチョコラトル。スペインの探検家コルテスが、つくりかたを もちかえった。まもなく、ヨーロッパの お金持ちがチョコレート・ハウスで チョコレートをのむように なった。コーヒーのお店みたいにね。しばらくたって、ひとびとは、チョコレートをのむかわりに、たべるように なった。スイスでは、1819年に はじめてチョコレート工場がつくられた。

めろんぱん || よりすぐりメルマガサイト」より。

チョコレートが飲み物から食べ物になったのは1876年のこと。スイス人のダニエル・ピーターがココアにミルクとココアバターを加えて板状のミルクチョコレートを発明し、世界中に広まりました。
日本に初めて輸入されたのは1877年(明治十年)頃。当時の新聞に、「西洋菓子・猪口令糖(ちょこれいとう)」の文字が見られます。大正期に全国に広がり、第二次大戦後にチョコレート産業が飛躍的に成長して多様なチョコレートが生まれました。

リンツ・チョコレート チョコレートの歴史」から。

1819年
スイスで初めてのチョコレート工場が設立されました。創始者のフランソワ・ルイ・カイエはチョコレートビジネスの秘密をイタリアで学んだとされています。
1847年
英国で現在の板チョコの原型が誕生しました。それまでの技術では、型に流し込んで薄い板状に成型することができなかったのです。
1875年
スイス人ダニエル・ペーターは8年にわたる試行錯誤の末、ミルクチョコレートの板チョコを市場に発表しました。