from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

映画「ダーウィンの悪夢」を観た

samso2007-02-17

いつもの土曜日のように7時半頃起きてきて、ユートとパトレイバーを鑑賞し、朝食。
「そとにいきたい」と言われるが、寒そうで断る。絵を描きだした。「かいたよー」「何描いたの?」「ハイジ」「へぇ」「これがハイジ。これがペーター。これがシロ。これがペーターのおうち、これが・・」「上手」「じょうずでしょ」。自画自賛でご満悦だった。
一度起きて朝ご飯を食べ、疲れていると言ってまた寝て妻が起きてきて、「吉祥寺まで送って」「なんで?」「この前、バーゲンで買ったコートを取りに行かないといけないの」「え〜」。調べたらまだやっていたので「ダーウィンの悪夢」を見ることにし、横浜に行くと妻と子どもと一緒に渋谷まで行って、別れた。
渋谷シネ・ラ・セットで番号札をもらってまだ時間があったので、軽い食事をし、マックで100円コーヒーを買い、開演の5時前に戻った。劇場はすごくこぢんまりした広さだったが、前の方の席にはテーブルが置いてあって、狭苦しさは感じられない。暗くなり映画の予告篇が始まったが、どの予告も画質が悪い。マイナーな映画の予告だからかなと思っていたら、始まった「ダーウィンの悪夢」の画質もかなり悪かった。上を見るとプロジェクターで上映されていた。フィルムをデジタルデータに変換しているようだ。
ヴィクトリア湖畔近くにあるらしいムワンザの飛行場の管制室で室内にいるハチのような虫を叩きながら、電話をしながら飛行機を誘導している管制官。飛行機の操縦士と交信する無線がなく、やってくる飛行機に対して、室内にあるライトで合図しているという。空港近くの草むらには壊れた飛行機の残骸。飛行場にやってくる飛行機は旧ソ連の大型貨物機イリューシンやくたびれたように見えるDC−8やボーイング707で、ヴィクトリア湖で捕れるナイル・パーチという魚の切り身をヨーロッパに運んでいる。ナイル・パーチは日本にも運ばれているという。ナイル・パーチを捕っている漁師や飛行機のパイロットに売春をしている娼婦、ヴィクトリア湖畔近くに住んでいる貧しい人たちの暮らしぶりが映し出される。エイズに冒されている人も多い。ナイル・パーチを切り身に加工している工場内の様子、工場主や一晩一ドルで雇われいる夜警の話。ナイル・パーチの加工工場で出た魚のアラはトラックに運ばれていく。魚のアラが降ろされたゴミ捨て場のような所で、魚のアラを拾い架木に掛けたり、油であげる。地面にはウジ虫がうごめく。働いている女性の一人はそこで出るアンモニアで目がやられている。
パイロットたちはナイル・パーチを運びにやってくる飛行機はカラだと言うが、地元の新聞では武器を運んで来ているようだと。映画の最後の方で、一人のパイロットが別の場所に武器を運んだことはあり、アンゴラの子どもたちはクリスマスプレゼントにタンクや銃をもらい、ヨーロッパの子供たちはブドウをもらう。そのことは、自分も心が痛むがどうしようもないと。
自分たちの暮らしがこういう人たちの犠牲のもとになりたっていると考えさせられるような映画だったが、現地事情に詳しい日本人の人たちの間ではあまり評価されていない映画のようだと帰ってきてから分かった。ダルエスサラーム便り「ダーウィンの悪夢」では、「アフリカ人は被害者で、いつも援助を求めないといけない可哀相な客体なのか?自分たちの問題を解決する主体性は期待されないのか? 私がこの問題について議論したタンザニア人、ウガンダ人の知識人たちは「人種差別だ」という断定はしなかった。ヨーロッパから発信された、ヨーロッパ人の目のフィルターを通したアフリカ像を鵜呑みにしてはいけないと思う。これを「グローバリズム」とか「開発」や「自立」の問題にすり替えてはいけないと思う」と。しかし、

に近い感想をもった。現地の人たちの普通の暮らしぶりを丁寧に伝えるだけでは話題にならない。だからといってヤラセまでやるのはよくないが。
70年代にアフリカに興味を持っていたときには、ニエレレというすばらしい指導者がいて、タンザニアはアフリカで唯一輝ける国であって、将来アフリカで指導的な国になると思っていたことを思い出した。そのとき、隣の国にはウガンダの独裁者アミンがいて、暴政を続けていた。