from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

国家の品格論

ぺきん日記「『国家の品格』のため"鎖国"の準備を始めましょう」から。

私が共感した第1点は「民主主義の前提となる成熟した国民などありえない」という主張。
主要民主主義国家はアメリカの音頭取りで、中東やアフリカ諸国や中国・北朝鮮などに民主主義を奨励しています。きっと民主主義が最も精錬された政体であると信じているからです。でも2000年以上も昔、都市国家から領域国家に発展したローマのカエサルは、共和制を捨て独裁制(帝政)を選択しています。大きくなりすぎた国家は一握りのエリートが運営することが最も国家のためだと判断したからです。多数決を原則とする民主主義は、参政者それぞれがしっかりした判断力を持たない限り、その国家のためにならない誤った方向に進むことすらあると思います。立法府だけではなく、裁判所の判断も、行政の判断も、かなりの部分、世論に影響されるのです。
中国はご存知の通り共産党独裁国家ですが、それでも”市民の声”を行政に反映させる必要が生じています。ですから、春節時期の爆竹の開放だとか、地下鉄駅名の公募などという、差し障りの無いところで、世論を反映しようとしています。プロセスはともあれ、多民族大領域国家である現状の中国で民主主義を導入したら、きっと取り返しのつかないことになるように思うのです。13億人のうち、"成熟した判断ができる人民"がどれほどいるでしょうか....まずは、多宗派国家イラクで民主主義が根付くか見守りたいと思っていますが。

中国に"成熟した判断ができる人民"が少ないのは、言論やメディア統制があるからだと言われれば、そうともいえるでしょう。でも民主主義国家と言われているアメリカや日本はどうでしょう。大衆メディア(私が大衆メディアと言うのは、数的影響力がある商業テレビ放送=日本では新聞も含めたい=をイメージしています)は自由に報道できているのでしょうか?仮に自由があったとしても国民に"成熟した判断"のための情報を提供しているのでしょうか?私は甚だ疑問に思っています。