from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

「経済発展が進むと、非民主的な体制は存在できない」という歴史的教訓?

中国産業研究丸川研究室「2010年・中国が民主化する日」。

1980年代に盛り上がった民主化運動は、6・4事件の血の弾圧と、人々の関心が薄らいだことによってその後10数年を経た今も沈静化したままである。80年代に民主化運動が盛り上がった背景には、旧ソ連でのゴルバチョフ改革に対する羨望があったと思われるが、民主化後のロシアにおける経済不振や治安悪化などを見て民主化への幻滅が起こったと思われる。一方、中国は経済が好調で、報道の開放と表現の自由も拡大され、不満のガス抜きが進んだということもある。しかし、他国と比べた時、国民が自分たちの政権を選べないということの不足感がいずれ意識されるようになる。
2008年の北京オリンピックは、日本にとっての東京オリンピック、韓国にとってのソウルオリンピックがそうであったように、「世界の一流国」に仲間入りするための儀式である。太平洋戦争で世界に背を向け、孤立化した日本が、終戦後19年を経て東京オリンピックを開催し、世界との和解を祝った。同じく6・4事件で世界に背を向けた中国は奇しくも同事件から19年を経た2008年にオリンピックを開催する。
オリンピック開催までは共産党独裁が続くだろう。世界の客人を迎えるのに恥ずかしくない経済発展のレベルを実現し、インフラを整え、大量の金メダルを獲得するためには、国内政治でガタガタもめているわけにはいかない。国民もまずはオリンピック開催までは独裁を受け入れるだろう。
しかし、オリンピックで中国は大量の金メダルを獲得し、世界の一流国になったことを喜んだ後、中国国民を待っているのは虚脱感である。目標喪失に陥った中国国民の目は国内に向かう。この時に、民主化の必要性が改めて認識されることになる。こうしてオリンピック終了後2年のうちに中国は民主化されると予測する。
ある飲み会の席で「2010年までに中国は民主化するかしないか」を問うたところ、(私を含めて)する5人、しない5人でまっぷたつに割れた。すると答えたのは教員が多く、しないと答えたのは中国人留学生が多かった。

JMM『「経済成長と民主化の相関関係:中国現地体験版」:現地メディアに見る中国社会』から。

海外で語られる「中国の民主化」というと、すぐに共産党による一党独裁体制終焉へと結びつくが、のっけからわたしなりの答を言ってしまうと、中国において今後しばらくは「中国共産党一党独裁体制が崩壊する」という意味での「民主化」は起こりえないはずだ。もちろん、中国共産党とその他政治党派との連携もしばらくのところはありえない。
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わたしが「中国共産党の独裁体制が崩壊することはしばらくはありえない」と感じるのは、先にも書いたが、「今の中国社会には一般に危機感はあっても不安感がない」からである。
たとえば、不動産の高騰、就業難、収入格差、環境問題、貿易摩擦、物価上昇、食品品質問題、農業経営難、教育問題、政府の汚職……中国に山積みする問題は内外ともに多い。もちろん、個別にその問題の矢面に立たされた人間にとっては死活問題だが、それが社会全体の不安感を呼び起こすには至っていない。つまり、社会共同体は問題の山積みという危機を意識してはいるものの、それが社会不安につながらない。
それは、「我国は今、経済成長の真っ只中にある」「世界に注目される大国となった」「明日にはもっと良くなる」という高揚感が全体を覆っているからだ。これは、バブル直後の「失われた10年」にあった日本と比べて、問題の大きさからすれば比べものにならないほどの不安要素を抱えているはずなのに大きく違う点である(ただ、日本はそういうときにも政情不安にはならないという国だったのが救いだった)。
そして、経済成長によって益を受けている、即ち新興の中産階級、あるいは中等収入層と呼ばれる人々は、直面する問題に危機感を覚えながらも、現在の自分の地位をもたらしてくれた体制の崩壊をまったく望んでいないことも理由の一つだ。彼らには出身はともあれ、都会で現社会体制の利益を享受する立場を社会の崩壊でなし崩しに失うのはイヤだという思いがある。社会主義市場化体制の導入で豊かになった彼らは、自分がその恩恵をこうむっていることを十分に知っている。
それを示すのが、先日、十七大に合わせて発表された中国共産党の党員数である。メディアの報道によると、今年6月の時点で中国共産党員の総数は5年前の十六大の時に比べて642.2万人増え、7336.3万人となった。そのうち、非公有制企業や私有企業関係の(つまり、改革開放後出現した新しい企業体制における)党員が300万人を超えたという。