7時過ぎに起床。
テレビを見ながら、朝ごはん。
8時半頃にうちを出た。気温が低く、少し寒く感じた。
自転車で駅に向かった。駐輪場に自転車を預け、駅前のコンビニでお茶とピーナッツブロックチョコを買ってから、駅へ。
武蔵境駅に早く着き過ぎたので、コーヒーショップでコーヒーを飲んだ。
集合時刻の5分前に改札前に行くと、まち歩きツアー「戦争遺跡を訪ねる平和散策コ
ツアーの簡単な説明を受け、線路沿いに東に移動し、武蔵境駅からかつて中島飛行機武蔵製作所に向かう線路跡の道路に到着。国鉄の敷地を示す標識があった。
元々は境浄水場に向かう線路があって、その線路を途中まで利用し、分岐させて中島飛行機武蔵製作所までの線路を作ったとのこと。今は本村第二公園になっている。線路が分岐した場所からしばらく行くと、玉川上水にかかるぎんなん橋に着いた。橋には線路を模したものがあり、橋の下には引込線だったときの橋梁を受ける橋台に一部が残っていた。当時玉川上水には水が滔々と流れていて、爆撃を受けたときはこの鉄橋を渡って逃げたとのこと。
引込線跡に作られたグリーンパーク遊歩道を行くと、関前高射砲陣地跡があった。この高射砲陣地は中島飛行機武蔵製作所に向かう爆撃機をねらう目的で作られたが、ほとんど役に立たず、爆撃により陣地にいた兵隊の犠牲者を出しただけ。
グリーンパーク遊歩道を離れ、五日市街道沿いに東に移動し、延命寺に移動。延命寺は中島飛行機の工場の南側にあり、境内に爆弾が落ち、被害を受けた。檀家にも犠牲者が多く出たため、境内には、不発弾の破片のほか、平和観音菩薩や戦没者の慰霊碑があった。
次は隣の源正寺へ。中島飛行機の創設者が浄土真宗の信者でこの寺と関係があったようで、中島飛行機の犠牲者の遺骨がここに運ばれ、今は慰霊碑が墓地にあった。また、墓地には機銃掃射の弾痕がある墓石もあった。
それから、中島飛行機の工場跡地に作られた中央公園に行った。武蔵野市平和の日制定記念樹を見てから、当時の中島飛行機武蔵製作所の配置を聞いた。中央公園は飛行機のエンジン工場があった場所で、戦後、その工場が改修されて、立川基地に通う米軍の住居として使われたよう。
都営住宅だったが今は中央公園の一部になっているエリアに行くと、爆撃照準点を示す説明板や工場の地下道の一部だった床面のコンクリートがあった。
中島飛行機の東工場跡に戦後GHQに接収された神宮球場の代わりにグリーンパーク野球場が作られたが、神宮球場が返却されたこともあり、すぐに閉鎖され、その跡地に公団住宅が作られた。そのUR緑町パークタウンを通って、陸上競技場へ。陸上競技場は中島飛行機の運動場だったようだ。その隣の四中は中島飛行機の青年学校があったところだと。
陸上競技場でツアーが終わり、帰宅。息子は起きていたが、まだ朝ごはんも食べていなかった。簡単に鶏肉と玉ねぎの炒めものを作って、昼ごはん。
2時過ぎにうちを出て、神代植物公園に向かった。2時半過ぎに公園に着いた。ダリア園を見て、温室に入ってから、バラ園へ。まだバラフェスタ中ではあったが、咲いているバラの数はなかり少なかった。
バラを見てから、園内を左回りに一周して、4時前に公園を出た。
帰宅途中で、スーパーに寄って、買い物をしてから、帰宅。息子はゴロゴロしていた。
6時過ぎから、八宝菜を作り、サンマを焼き、刺し身を出して、夕飯。
息子は夕飯後、ゴロゴロしたあと、ゲームを始め、11時前までやっていた。