from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

またメガネ屋に行った

5時半頃にトイレ。布団に戻って二度寝。6時半に目が醒めたが、起きたのは7時半過ぎ。

「あさが来た」を見ながら、朝ごはん。

「経済ドラマとして見ても面白い」というが、経済的なところの描写はいい加減すぎて、びっくりポンや。

『九州の炭鉱主の亡妻「そえ」は大阪に所用があり、以前、あさから炭鉱の件で丁寧な文をもらったので、ついでに立ち寄ってみたと言います。
あさは、資金面で一括払いが出来ないので、不足分を分割でと言いかけると、正吉が「土佐堀川の米蔵を売ろうと思っています」と、話し出します。
正吉があさを信頼している事を、また、あさも真剣に炭鉱事業を考えている事を知った後家さんの櫛田そえは「加野屋さんにお売りいたしましょう」と、炭鉱の買収を了承するのでした。』
『あさ、亀助、宮部の一行が、今にも倒れそうになりながら炭坑に着きました。』
そえがあさに惚れ込んで、あさが炭鉱を手に入れ、明治5年4月に門司港から十里の距離を歩いて炭鉱に行く。日本初の鉄道路線である新橋駅 - 横浜駅間が開通したのが、明治5年9月12日。まだ日本国内に石炭の需要はほとんどなく、石炭の輸送も困難だったはず。
調べてみると、
『日本では、江戸時代末期から筑豊唐津地方で採掘された石炭が個人消費されており、薪の代用とされていた。』
『明治15年、石炭業に将来性を感じていた司法省の役人吉田千足が大阪株式取引所の第二代頭取になり、同時に同取引所の肝煎きもいりに浅子の夫・信五郎が就任。
大阪株式取引所は、当時大阪財界の中心的存在だった五代友厚が設立に尽力した証券取引機関である。その設立発起人・株主・経営陣には、五代を中心に大阪商人の主だったメンバーが揃っていた。加島屋もそのメンバーにいたからこそ、炭鉱ビジネス進出のきっかけを掴んだのである。
大阪株式取引所の頭取をわずか一年で退職した吉田は、「国産を開き国富を増す」という想いから、かつて赴任経験のある筑豊の炭鉱業への進出を企図する。筑豊と大阪財界双方の人脈を持つこの吉田の手によって、帆足、そして加島屋が連携することとなる。
明治17年、浅子と吉田千足は「広炭こうたん商店」という会社を設立し、石炭事業に着手する。
吉田千足の知り合いで、西南戦争で九州を訪れた時に炭鉱業の将来性を見越して軍を退職、そのまま筑豊で炭鉱業を興した帆足義方の所有する炭鉱で産出された石炭を、広炭商店が独占的に販売していくという構図が、浅子の炭鉱ビジネスのスタートになる。
浅子の炭鉱ビジネスの目論見は、筑豊の石炭を上海などへ海外輸出するというものであった。しかし、そこには大きな問題が立ちはだかる。炭鉱から輸出港までの「石炭の輸送」である。
筑豊の石炭を輸送する手段として鉄道が敷設され、飯塚にまで鉄道が延びるのは明治26年。つまり浅子が石炭事業に進出した時には、石炭を港まで運ぶ方法は、船による運搬しかなかったのである。』http://kajimaya-asako.daido-life.co.jp/asako/02-02.html

目覚まし音で、9時に息子を起した。「土曜日なのに何で?」と言いながら起きてたので、「メガネ屋に行くんじゃないの?」と言うと、「忘れてた」。

「朝ごはんは?」と聞いてきたので、「用意してない」と答えると「ベーコンエッグ作って?」。「調理実習やってんでしょ?自分で作って」と言うと、ブツブツ言いながら、自分でやりだした。

テレビを見ながら朝ごはんを食べ終わって「うまく焼けたので、美味しかった」と言って、ゴロゴロ。

出かけるを待っていたが、いつまで経ってものんびり。

うちを出たのは、10時半過ぎだった。雨が降っていたので、吉祥寺駅行きのバスが来るバス停まで歩いた。

11時15分過ぎに駅前に着いて、メガネ屋に向かった。やはりすぐにメガネフレームを交換してもらうわけには行かず、明後日になると。メガネがないと困ると伝えると、まだ割引価格でレンズと新しいフレームに交換できると言われ、よく見えなくなっていたと聞いていたので、レンズの度数をチェックしてもらった。メガネを受け取るときに今のメガネを渡さないと行けないが、息子が来れないと言うと、後日でもよいと言われ、店を出た。

もう昼過ぎになっていたので、お昼を食べることにした。息子がパスタが食べたいと言うので、イタリアンレストランに入った。

息子はいつものミートソーススパゲティではなく、ペスカトーレを注文した。私は、魚介のペペロンチーノにした。

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息子に味を聞くと、ちょっとスパゲティが硬いと言うので、味見すると、確かにちょっと茹で方が足りない感じだった。

帰りはうちの近くまで行くバスがなく、文化会館前で降り、小雨の中、歩いてうちに向かった。

うちに着いて、「友だち呼んでいい?」と聞くから、「部屋を片付けたら」と答えた。文句を言いながら、片付け始めた。30分以上かかって「終わった」と言いに来たが、見に行って「まだ終わってない」と答えた。

ようやくそれなりに片付けたので、OKを出した。しばらしてM君がやってきた。

ウィルスでWindows 7で使えなくなっていたノートパソコンにWindows 10をインストールすることにした。1時間以上かかかって、インストールまでこぎつけたが、5%からまったく進まなくなった。アプリを引き継ぐのが良くなかったのかもと思い、やり直したら、ようやくインストールが終わった。

もう6時前になっていて、夕飯の支度。

7時に夕飯の支度が終わり、息子に解散するように言いに行った。M君が帰り、ニュースを見ながら夕飯。

これからもこんなことが多発しそうな気がする。

妻から電話があり、息子はスカイプ。

夕飯を食べ終わると、息子はソファに横になり、自分で録画しておいたアニメを見始めた。

「試験勉強は?」と聞いても、生返事で動かなかった。

雑誌を読んでいたら、眠くなり、寝てしまった。

気がつくと、息子が妻に電話し、私のせいでスカイプができないと憤慨して大声で話していた。

12時前に息子は寝た。