from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

SLに乗りに行く

samso2006-12-29

7時前に妻と子どもを起こし、朝食の用意。子どもは起きると咳をしているが、大丈夫そう。
朝食を終え、洗濯物を干しにベランダに出ると、晴天だが寒い。
8時にうちを出て、バス停に向かう。バスを待っている間、子どもはスーパーの前にあるガチャポンマシンのところに行って、品定め。「ママ、これほしい」「ダメだよ。もうバスが来るから、戻ってきて!」。
電車はそれほど混んでいなくて、子どもだけ座れ、しばらくして妻が座れ、9時過ぎに東京駅に到着。新幹線の改札付近は混雑していたが、ホームに上がるとガラガラ。禁煙席の指定席が取れず、一番後ろの喫煙車両の乗り場に行って並んでみるが、自由席車両の乗り場に列ができない。喫煙席に座りたくないと妻が言うので、自由席に座ることにした。
席の準備が出来て、乗り込むがガラガラ。静岡で降りるときに、中央の車両まで移動したが、自由席はガラガラなのに、指定席は満席だった。名古屋行きのこだまだったが、ほとんど人が自由席で座れないことを心配して、指定席を取ったようだだった。

静岡で在来線に乗り換え、金谷駅に向かった。東海道線は混み合っていたが、子どもが座わりたいと言うと、座っていた青年が席を譲ってくれた。JR金谷駅に着くと慌てて、大井川鐵道金谷駅に向かった。11時48分のSLの発車まで10分しかなく、「のんびり寸又峡温泉の旅」のチケット受け取りの手続きが必要だった。5分前にチケットを受け取り、改札に行こうとすると、妻が駅の売店で買い物をしていた。「行くよ」と声を掛けると、子どもが「かってもらった」と袋を見せに来た。「D51汽車ぽっぽ」セットだった。客車の横を通ってホームの端まで行ってみるが、肝心の機関車が見えない。仕方なく戻って、客車に乗り込む。ほぼ満席だった。席には予約しておいた汽車弁当が置いてあった。

汽車が動き出すと、子どもはオモチャが気になって、「きしゃ、だして」。「何で、オモチャ買うの?」と妻に言ってみるが、手遅れ。「弁当食べるよ」と言ってオモチャから気をそらせた。包み紙には汽車の絵があり、醤油入れが汽車のカタチをしているだけで、普通の弁当だった。弁当を食べ終わった頃、おばさんが集金に来て、2千6百円を支払う。
機関車が見えるかと思い、先頭車両まで行ってみた。煤けた窓から機関車の前のプレートに「C11 190」の文字が見えた。機関車はバックで客車を引っ張っていた。席に戻ろうとすると子どもは車内販売の汽車のオモチャに釘付け。「買わないよ」と言っても動かない。ようやくのこと席に戻るとまた「きしゃであそびたい」。

停車駅でしばらく止まるというので、子どもを連れてホームに降り、機関車を見に行く。運転席が見えたり石炭をくべるところが見えるわけじゃないからか、子どもは機関車を見ても特に感激しない。

汽車がまた走り出して、時刻表を見ようとポケットを探るが、チケットや時刻表などが入った袋が見つからない。車内のどこかで落としたかも知れないと思い、先頭車両まで行ってみた。見つからない。一番後ろまで行く車掌さんがいたので、事情を告げる。乗車券は再発行できるが、宿泊券は再発行できないと言われる。とりあえず、終着駅の千頭駅に連絡を入れておきますと言われ、席に戻った。
千頭駅に着いて、席を立つと妻が「これじゃない」と袋を差し出した。座席の隙間に落ちていた。列車を降り、車掌さんに見つかったことを告げにいった。井川線トロッコ列車がすぐにでるというので、接阻峡温泉駅までの往復チケットを買い求め、トロッコ列車に乗り込んだ。「いちばんまえにのりたい」と子どもに言われたが、すでにほかの家族が座っていて、諦めさせる。遊園地にある列車のように狭い車内。気温が低くて寒かったが、暖房設備はあって、車内はそれほど寒くはなかった。

出発時刻になって、席が8割ぐらい埋まったトロッコ列車が動き出した。最後尾ディーゼル機関車が連結されていて、後ろから3両の客車を押して、大井川沿いの曲がりくねった線路を登っていく。狭いトンネルをいくつも通過する。アプトいちしろ駅に着くと、アプト式のED90型電気機関車が連結されるので、列車を降りて見に行く。

席に戻って、列車が動き出し、すぐに日本で一番急勾配らしい90‰区間を登っていく。

長島ダム駅に着アプト式のED90型電気機関車は切り離された。ひらんだ駅奥大井湖上駅が過ぎ、接阻峡温泉駅で降りた。

他に誰も降りない。駅を出ると「接阻峡温泉森林露天風呂」の看板が見え、妻が「温泉に入りたい」と言い出した。「30分で列車が来るよ」と言っても「行く」と言うので、妻一人で温泉に行ってもらうことにして、子どもを連れて近くにあるという資料館に行くことにした。先に歩いて行くが、子どもはついてこない。とぼとぼやってくる子どもも写真に撮ろうとポケットを探るとカメラがない。駅に戻って、駅にいたおじさんに、列車内にカメラを忘れたことを告げた。列車に電話をしてくれ、連絡を待つ。しばらく待って、電話がかかってきて、カメラが見つかり、こちらにやってくる列車で持ってきてくれると言う。助かった。
結局、資料館に行く時間はなくなり、そのまま駅の待合室で列車がやってくるを待った。妻が温泉から出て、駅に戻ってきて、「いい温泉だったよ。一人で月を見ながら入れた」と。列車がやってきて、駅のおじさんと一緒にカメラを受け取る。

奥泉駅で降り、寒い中、寸又峡行きのバスを待つ。10分あまり経ってバスがやってきた。バスは山中の狭い道路を登っていく。峠を下っていくと、寸又峡温泉に着いた。バスを降り、狭い道を上っていくと、5分ほどで今日宿泊する旅館「山湯館」に着いた。受付をすると、宿泊券をなくされたと大井川鐵道から連絡があったとご主人らしい人に言われた。狭い通路の奥まったところにある1階の部屋だった。窓を覗くと庭に昨日降ったらしい雪が枯れ葉の上に残っていた。すぐに温泉に入りに行った。硫化水素系の単純硫黄泉で、硫黄の臭いが微かにし、手を肌に滑らせるとぬるぬるする。
6時半まだしばらく待って、夕食。大広に行くとすでに他のお客さんは食べ始めていた。席に着いてしばらくしてから仲居さんがやってきて、ご飯とみそ汁を運んできた。お椀に入っていたキノコご飯は少なく、すぐになくなる。ご飯のお代わりを頼むが、ちょっと待ってと言ったまま、持ってきてくれない。ご飯がなくなってから、ヤマメの唐揚げが来て、ようやく煮えた猪鍋を食べ終わっても、ご飯は来ず、蕎麦が出てきた。ご飯は諦めて席を立った。
部屋に戻って、もう一度、子どもを連れて、温泉に入りにいった。1回目に入ったときより温度が高く、なかなか湯に浸かれない。子どもは「あつい、あつい」と言って、足先を入れるだけ。露天に入っても同じ。しばらく経ってようやく浸かれにようになったが、子どもはようやく腰まで浸かっただけ。
9時過ぎに寝た。