from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

「夢の吊り橋」を渡った

samso2006-12-30

6時半過ぎに起きた。天気は良さそうだった。
妻と子どもは温泉に入りに行った。妻と子どもがお風呂から戻ってきて、7時半になると朝食の用意ができたと電話があり、広間に行った。朝食は一番乗りだった。蕎麦粥、鮭のみそ漬けの焼き物、田楽など。ご飯のお代わりができて、満腹で部屋に戻った。
部屋に戻ると、布団は片づいていた。妻は、「ちょっと寝かせて」と言って、布団を引きずり出し、寝てしまった。テレビを点けると「ななみちゃん」をやっていて子どもはしばらく見ていた。8時半に妻を起こし、出発の用意。
チェックインに行くと、子どもの施設使用料として、1,050円を取られた。ロビーで記念写真を撮って、宿を後にした。気温は低かったが、風がなく、それほど寒くはなかった。
バス停に戻って、標識に従い、「夢の吊り橋」を目指した。子どもはゾウの鼻の付いたジャケットを着ていたので、「ゾウマンにんじゃ」になりきって、なにやらぶつぶつ言いながら佇んでなかなかやってこない。山道を進んで見えない位置に行ってもやってこない。何回か名前を呼ぶと走ってきた。

天子トンネルに入って、声が響くように大きな声を出すと、真似をして、「おーい、パ〜パ」。トンネルを出ると山肌につららがあり、取って子どもに与える。後ろからやってきた家族の小学生が「ソードみたいだね」と言った。

下に大間ダムが見え、その先のダム湖の上に「夢の吊り橋」が架かっていた。山道からダムに向かって階段を降り、しばらく行くと、「夢の吊り橋」の端に着いた。長さ90m、高さ8m。並んだ歩けない幅だったので、子どもを先に行かし、後ろからついていった。「怖くない?」「ぜんぜん、こわくない」と言って慎重に足を運んでいた。高所恐怖症の後ろの妻も気になったが、前の子どもを見ていないといけないので、声を掛けられなかった。


吊り橋を渡り終わると、子どもは、また「ぜんぜん、こわくなかった」と言った。妻はしばらくしてやってきた。振り向くと、子どもは石の階段を登り始めていた。追いついて、「登れる?」と聞くと「きんにくがいっぱいあるから、だいじょうぶ」と言って、先に行ってしまった。一度も休憩せずに、子どもは階段を登りきった。10分ほどして妻がふうふう言いながらやってきて、「筋肉痛になるかも」と言った。
ちょっと右に行った所にあった尾崎坂展望台で休憩。子どもは広場に置いてあった古びたディーゼル機関車の置物で遊んでいた。

戻るときも子どもは元気で、心配するぐらい先の方まで一人で「ゾウマンにんじゃ」なりきって走って行った。結局、子どもは一番先にバス停に着いた。バスの発車時刻まで30分ほどあったので、バス停近くの土産物屋でうどんと蕎麦を食べた。
10分前にバス停に行って待っていると、千頭行きのバスが2台やってきた。待っていた客を2台のバスに振り分け、出発。12時過ぎに千頭駅に着いた。金谷行きの列車の発車時刻にはまだ時間があったので、SL資料館を覗いた。SLが走るパノラマやSLの模型が置いてあった。

改札を入ると、向こうに古びた車両が見えた薄緑色の車両が見えた。

子どもが「いちばんまえがいい」と言うので、先頭車両に乗り込むと、関西弁の老夫妻と孫らしい20代の青年がいた。話をすると、この車両は南海電鉄で特急や急行に使われていたもので、この電車が現役のときに和歌山から大阪まで通っていて、「和歌山から大阪まで1時間で行きよった」と言われた。

三人とも鉄道についてすごく詳しくて、金谷駅に着くまでずぅーと大井川鐵道に使われている車両の話や各地の列車の話をされていた。お子さんは獣医の免許を取りながら、電車が好きで、車掌をしていると言う。「大きくなったら、電車の運転手になりたいんか?」と話しかけられると、うちの子どもは「おおきなしょうぼうしゃのしょうぼうし」と答えた。
駿河徳山駅で、金谷からやってきたSL急行とすれ違い、写真を撮ることができた。

金谷駅に2時過ぎに到着し、10分ほど待って、東海道線に乗り換え、子どもの希望で先頭車両に乗り、静岡駅に向かった。次の新幹線はこだまだったが、1つ後のひかりで東京に戻ることにした。妻はお腹が空いていないというので、駅弁を1つだけ買い求め、やってきたひかりに乗り込んだ。発車時刻になっても発車しない。おかしいと思っていると、東海道線が遅れていて、東海道線から乗り換える客を待ってから出発するということだった。15分ほど遅れて出発した。よく晴れていて、雲1つかかっていない富士山が綺麗に見えた。