from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

恐怖と治安のスパイラル

論座2月号『「子どもを守れ」という快楽』から。

人が犯罪などを気にせずに暮らしてきた日常は、子どもたちが無邪気に公園で遊ぶ牧歌的な風景は、もはや遠い昔の過去に属するものであるかのように考えられている。そして、そのような日常を過去のものにした犯罪者の出現を、人びとは恐怖とともに心の底から憎んでいる。
だが、少し立ち止まって考えてほしい。治安が悪化していると統計的な事実はない。にもかかわらず不安意識のボルテージが上がり、地域社会を治安管理でもって覆い尽くそうとするならば、かつての長閑な日常を破壊しているのはわたしたち自身だということになる。しかも、わたしたちはそのような営みに快楽を見いだしつつ、率先して治安管理にのめり込んでいっているように見える。
結局のところ、不安と快楽とがない交ぜになって、セキュリティーの意識が先鋭化している。しかも、それは現在、子どもたちを守らねばならないという「善意」と、犯罪者が怖いという「恐怖」の両輪によって回っている。善意と恐怖はその際限がきわめて判断しにくい。よって、不安と快楽を燃料に昂進し暴走していく可能性がある。
だが、快楽と不安とによって、人々がもろ手を挙げて治安管理に付く進むとき、失われるものが自由だとしたならば、それはあまりにも大きな代償ではないか。そして、わたしたちが手にするのが安全や安心どころか、ただ団結し恐れあう仲間たちの一体感だけだとしたら、そこに何の意味があるというのか。