from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

映画「ミュンヘン」を観た

samso2006-02-05

今日も気温が低く寒い一日ということであった。映画を観るために、9時半頃うちを出たが、風がなく、日向を歩いていると暖かく感じた。
今日は電話をしないと言っていたが、電話がかかってきた。「タミーのむすこのじどうしゃのやねがあいた」「どうぶつえんにいった。おさるさんがいた」。今日はアデレードの町に住んでいる知人の子どもの家に行って、それからコンバーティブルの車で植物園に行った。植物園には動物園が併設されていて、その動物園でおさるやカンガルーを見たようだ。
スピルバーグの「Munich」を観た。報復の連鎖のほんの一部を切り取った映画。「ヘブライの館2」によると、ミュンヘン事件の前には、1967年にアラブ側が完敗した第3次中東戦争があり、1970年にはパレスチナ武闘組織の活動の中心であったヨルダンでPLO兵士が5000人以上虐殺される「ブラック・セプテンバー事件」が起きていた。また、1968年にハイジャックが成功するとパレスチナ武闘組織は次々とハイジャック事件を起こしていた。最初はハイジャックに手をこまねいていたイスラエルであったが、1972年のハイジャック事件で犯人を射殺し、人質を無事救出することに成功していた。この直後、日本赤軍岡本公三ら3人がロッド空港で27人の旅客を殺害する事件もあった。これに対して、イスラエル側は郵便爆弾でパレスチナ人を殺害する報復に出た。このあと起きたのがミュンヘン事件だ。
旧西ドイツ側の治安当局の対応の失態で11人のイスラエル人が殺害されたミュンヘン事件のあと、さらにパレスチナ武闘組織によるテロは続いたため、今度はイスラエル報復に出た。「いかなる文明も、必要な場合には自分の価値観に背くような譲歩をしなくてはならないときもある」というメイア首相の命を受けたイスラエル側の報復を描いたのがこの映画。この映画では描かれていないが、この映画の主人公「アヴナー」が率いる暗殺チームの他にも複数の暗殺チームが存在していて、イスラエル対外諜報機関「モサド」によってヨーロッパに送り込まれ、次々とミュンヘン事件に関与したテロリストを殺害していった。
アヴナーは、最初の頃は殺人にとまどいがあったが、徐々に本物の暗殺者に変貌していく。しかし、仲間が殺されたことで疑心暗鬼になり、よみがえってきた良心との葛藤で苦悩するようになる。そして、国家に翻弄されていることに気づく。
この映画でミュンヘン事件関連テロリストの情報の提供をしていた「パパ」と呼ばれるはまるでゴッドファーザーのように描かれていた。家族主義で従う者たちには優しいが、刃向かう者は容赦はしない。
ところで、ミュンヘン事件を起こした「ブラック・セプテンバー」と「セプテンバー・イレブンス」は、セプテンバーつながりなんだろうか。

イスラエル、カナファーニー暗殺を初めて認める ミュンヘン事件真相も」から。

「ドイツ警察は空港で待ちかまえ、パレスチナ人グループと人質たちに銃撃を始めた。誰もが人質はパレスチナ人に殺されたと信じていたが、2年後になって全員がドイツ人狙撃手に殺されていたことが判明した」
「しかし、当時の首相だったゴルダ・メイヤーは報復として著名パレスチナ人を暗殺するための内閣委員会の設置を命令した」
とハベルは書いている。この暗殺のための委員会メンバーには、国防相をつとめたモシェ・ダヤンの他、2001年に暗殺されたラフバーブ・ゼエヴィ(当時観光相)などがいた。
「黒い九月」メンバーやパレスチナ人政治家はこの後、次々とイスラエル諜報機関モサドのエージェントによって暗殺されたのだが、ハベルによるとモサドのエージェントが不足し、国内諜報機関シャバクや504隊と呼ばれる軍の特殊部隊などからスカウトをしてきたという。

goo映画「ミュンヘン事件首謀のパレスチナ人、スピルバーグ監督映画を批判」。

ダマスカスからロイターの電話取材に応じたDaoud氏は「もし彼(スピルバーグ)があの作品を本当に平和への祈りにしたいなら、シオニスト側だけに与する(くみする)のでなく、両当事者の話を聞き、真実を反映させるべきだった」と語った。同氏は、米国外では来月公開が予定されているこの映画をまだ見ていないという。
Daoud氏はさらに、スピルバーグ監督がイスラエルで同映画の試写会を行ったことについても触れ「スピルバーグはあの映画を、(同事件で殺害された)イスラエル選手らの未亡人には見せたが、パレスチナ側の遺族のことは無視した。ミュンヘン事件の前後にいったい何人のパレスチナ市民が殺害されたことだろう」と述べた。