from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

アイディオロジカルな人たち

片岡義男著「影の外に出る ~日本、アメリカ、戦後の分岐点」から。

アイディオロジカルな人たちとは、自分の考えにどこまでも固執している人たち、つまり大きく偏向している状態にある人たちを意味する。
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自分の理性的な思考から導き出される行動という経路を、いっさいの制約や束縛から自由な状態に保ち、そこで自分の思うとおりに徹底して好きなようにように行動すると、その結果としてそれまでどこにも存在しなかった価値の地平、しかもそれ以前より格段に進歩した地平が開けていくと信じて、現実にそのとおりにするという種類の新しさのなかに、彼らは常にいる。
自分の理性的な思考に対して制限を加えてくるものはすべて排除すべき悪であり、それはしばしば過去というもののなかにある、と彼らは考える。だからあらゆる過去は自分にとってなんら価値のない旧弊でしかなく、それらはすべて打破して打ち捨て、いっさいの束縛から自分は自由になり、その自由のなかで限りなく進歩して完全へと向かう、というイデオロギーを彼らは信奉している。
こうしたアメリカ保守の自由主義進歩主義を経済に当てはめると、経済行為とは人間が理性にもとづいておこなう自己改革としての進歩や向上である、ということになる。だからここでもなりよりも重要なのは自由であり、資本を自由に移動させて可能なかぎり制約を取り払って市場にまかせると、すべてはただひとつの方向つまり進歩と向上へと向かうのであり、そうならない場合があるなら、後進性という束縛が自由を阻害しているからだ、と判断される。貧困はその見本のひとつであり、貧困のなかに生まれていく豊かさに対する捩れた感情は、自由や豊かさをなどに対するテロ行為の発生源ともなる、と大統領が世界に向けて宣言し、署名まで添えたりしている。