from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

永訣は日々のなかにある

4時過ぎに目が醒め、トイレ。

6時半に目覚まし音で起床。

コーヒーを淹れ、ニュース番組をちょっと見て、7時に散歩。路面が濡れていたが、雨は降っていなかった。

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7時40分過ぎに帰ってきて、洗濯物干しと掃除機。

スクランブルエッグとパンと牛乳で朝ご飯を食べていたら、息子の目覚まし音が鳴った。起きないので、声がけしたら、起きてきた。

8時20分過ぎからリモートワーク。

今日も試験があるようで、息子は8時半に大学に行った。

10時半過ぎに、コンビニの弁当を持って息子が帰ってきて、寝てしまった。

12時過ぎから昼ご飯。

15分弱昼寝をして、仕事再開。

息子は2時半過ぎにやっと起きてきて、弁当を食べた。

5時45分過ぎに仕事終了。

6時過ぎからモツのトマト煮込みを作って、ニラ饅頭を焼いて、夕飯。

今日も寝る前に『清冽 詩人茨木のり子の肖像』を読んだ。

『〈自由〉の意味が、やっと今、からだでわかるようになった。なんということはない「寂寥だけが道連れ」の日々が自由ということだ。この自由をなんとか使い来なくてゆきたいと思っている』
『私は葬儀万般が嫌いである。好きな人は無かろうと思うものの、とむらいとなると変にいきいき楽しそうになる人もあるので困惑する。日々の出会いを雑に扱いながら、永訣の儀式には最高の哀しみで立ち会おうとする人間とはいったい何だろうか?好きな人であればあっただけ行きたくなくなってくる。行かないことは、また来てもらわないことでもある』
『永訣は日々のなかにある』
これは、茨木のり子さんの言葉だが、自分も同じように思ってきた。

 

自宅療養者というか、自宅放置患者がどんどん増えていく。