上海から北西に約130kmほど行ったところにある無錫に白タクで行ってきた。南京に向かう高速道路で行ったが、途中、拡張工事をしていて、1車線になる箇所があり、無錫まで2時間ほどかかった。
白タクの運転手さんは、一度無錫に行ったことがあるということであったが、高速道路の出口を知らなかったし、無錫市内の道路もまったく分からないようであった。こちらが道路標識を見ながら、道案内をし、最初の目的地、太湖風景区になんとか着いた。
太湖は、面積はが約2千平方キロあり、中国で三番目に大きな淡水湖らしい。太湖風景区の入り口で、70元の入場料兼乗船券を買って、観光船の乗り場まで行った。観光船は、30分ごと出航しているようで、すでにかなりの人が乗船場に並んでいた。15分ほど待って、乗船できた。先頭の人達が駆け足で乗り込んでいったので、席が少ないかと思って乗ったが、十分に席はあった。船に乗って辺りを見回すと、琵琶湖を思わせるような山に取り囲まれた風景であったが、湖水は琵琶湖のより汚いようであった。20分ほどで仙島という島に着いた。
仙島に上がって、会仙橋という橋を渡り、右手に行くと、小さな砂浜があった。子供は、喜んで砂遊びを始めた。その砂浜の近くに鳥居があり、そこに張られたロープに南京錠が沢山ぶら下がっていた。縁結びの神様なのか、男女の仲が永遠に続きますようにということのようだ。南京錠が沢山ぶら下がっているのは、日本のどこかで見た記憶がある。
階段を登って高台の方へ行くと、輩があり、上海博物館で見た鐘(しょう)があった。定期的に演奏があるようだが、次の演奏時間まで1時間もあるということで、演奏を聞くのは諦めた。2元を払うと鐘を叩けるというので、妻と子供が鐘を叩かせてもらった。
島の船乗り場に戻ってくると、漁師が小舟で魚を売りに来ていた。妻は、お隣のお土産といって、干し魚をかった。あじの開きだと15元ほどだが、その干し魚は8枚ほどで10元だった。
太湖風景区から錫恵公園に向かった。運転手さんが道が分からないものだから、何回か道を聞いてようやく着いた。お腹が空いたので、某ホームページに書いてあった近くのレストランを探すが、店じまいをしたようで、そのレストランは見つからなかった。それで、別のホームページに書いてあったレストランから近くのあるレストランを聞いて、行ってみたが、かなり古びた店で、ショウロンポウとワンタンしかないといれれるが、お腹が空いていたので、それを食べた。ワンタンはまあまあ、ショウロンポウは甘くてあまり美味しくはなかった。
昼食後、錫恵公園の中に入った。公園の中に錫山と恵山の2つの山があり、中はかなり広いようであったが、子供連れであるため、ほんの一部しか見ることができなかった。錫山は、周や秦の時代には大量の錫を産出していた小山だそうだ。漢代になりこの山から錫がとれなくなったため、無錫と呼ばれるようになったようだ。ここの庭園にも穴の開いた太湖石があちこちにあり、蘇州で行った庭園によく似たよう風情だった。皇帝にお茶博士といわれた陸羽によって天下第二泉と名付けられた泉、乾隆帝の筆によって書かれた文字が刻まれた石碑などもあった。石碑の側には、樹齢600年のほどのイチョウの木があって、葉っぱが黄色くなっていた。中国で、紅葉らしい紅葉を見たのは、初めてだった。
無錫を早く引き上げ、蘇州の寒山寺に行くよう車を走らせてもらっていたが、無錫市内で道に迷い、なかなか高速道路に辿り着けず、高速道路の入り口まで1時間ぐらいかかった。高速道路の入り口付近に標識がいくつもあって、南京方面の入り口なのか、上海方面の入り口なのか分からず、入り口をちょっと入ったところに停めていた車の人に確認した。そのまま進めばいいと分かったが、その車の持ち主が乗っている女性を浦東空港まで送ってほしいといってきた。寒山寺に行くには遅くなっていたので、その女性を乗せてあげることにした。運転手は、150元もらった。
乗り込んできた女性は最初は黙っていたが、妻が話しかけ、色々話しているうちに、その女性は電車に乗って上海まで行こうとしていたが、駅で白タクに300元で上海まで送っていくといわれ、乗ったが、高速道路の入り口までいくと、違う車に乗り換えてくれといわれたということだった。無錫には花のビジネスで来ていて、浦東空港からハルビンに帰るとのことだった。
高速道路に入ってしばらくして寝てしまったが、起きると渋滞していて半分ぐらいしか来ていなかった。30分以上渋滞期間があって、そこを過ぎるとスムーズに走ったが、高速道路を降りると、また渋滞していて、アパートに着いたのは、7時前であった。