from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

海外メディアの「道具化」

JANJANの「ドイツマスコミスキャン〜中国での反日暴動を読む(3)」から。

ドイツ人にとっては、実は、日中の対立というのはあくまでも些事に過ぎない。彼らにとっては、むしろ、中国が日本の国連安保理常任理事国入りを阻止しようとした場合、同じように常任理事国を目指すドイツにとっても不利益が及ぶのではないか、また、巨大市場を抱える中国と日本の対立はドイツ経済に悪影響を及ぼすではないか、といったことが主たる関心事のはずである。だからこそ『フランクフルター・アルゲマイネ』はドイツの読者に対して中国政府の行動を分析してみせたのに違いない。
つまり、産経新聞が引用したドイツ紙の記事では、日本が謝罪したかどうかというのは、大した重みを持っていないと思われるのである。
こうした文脈を捨象して、記事の一部分のみを切り取って「道具化」することは、それ自体は報道倫理にもとるというほどではなくとも、読者に誤った判断(この場合であれば「ドイツの世論は日本の立場を理解している」と過度に思い込んでしまうこと)を行わせる原因となるだろう。

自社の主張に都合のいい外国メディアの記事を選んで掲載し、ほれ海外でもこう言っているでしょという情けない話。なんでそこまでするかなあ。色々な視点を指し示し、多彩な論点の提起するのがマスメディアの使命じゃないのか。