from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

東京マラソンが始まった

samso2007-02-18

朝起きると、昨日の夕方から降り出した雨が降り続いていた。寒いのでストーブを点ける。暖冬で灯油はまだ2缶目。
朝ご飯を食べ、テレビを点けると東京マラソンが始まろうとしていた。雨の中、都庁前のスタート地点に3万人のランナーがいた。石原都知事のピストル音を合図にスタート。あっと言う間に先頭集団は皇居前に来ていた。東京タワーの近くを通って品川で折り返して銀座を通って浅草へ。ケニア人でヤクルトに属しているダニエル・ジェンガが飛び出し、優勝候補の一人だった油屋が遅れだした。再び銀座に戻って、豊洲に向かい、有明からゴールの東京ビッグサイトへ。ジェンガスペシャルドリンクを取りながら滑らして落としたがそのまま先頭でゴール。2時間9分45秒だった。2位は旭化成佐藤智之、3位はカネボウ入船敏だった。最後のレースとなった有森さんは、座骨を痛めていたらしいが、2時間52分45秒でゴールした。
いつの間にか、雨が上がり、日が差してきた。電話すると、子どもが出て、知人のインド人のうちにいると言う。中華街に行って獅子舞は見たのと聞くと「みた。りゅうもいた」。
掃除をしてから、ビデオを返しに行って、一人で夕飯。テレビを点けると、「世界から見たニッポン 第一回 日本はなぜ孤立したのか」をやっていた。大正の初期、日本が疲弊し、米国と戦争も考えていた矢先、第一世界大戦が勃発。日英同盟で連合軍の一員として参戦し、戦争で活気を取り戻す。瞬く間にドイツが得ていた中国の租借地の膠州湾エリアなどを占領した。連合軍が勝利すると、勝利国の一員としてパリ講和会議に参加。租借地を返せという中国と対立。脅しによって中国の味方をしていたアメリカが折れ、中国の租借地は保持された。しかし、日本の援護を必要としなくなった英国とうまく行かなくなり、日本は次第に孤立していくというような内容だった。その頃、日本に滞在していた二人の外国人、ヴェンセスラウ・デ・モラエスとジョン・デューイは、日本人の考え方を冷静に分析し、日本の将来を憂いていたようだ。

デューイの教育理論」から。

デューイは多くの日本人が「デモクラシーを口にしている」ことに注目しながらも神の子孫としての天皇が国民の絶対服従を求める最高の支配者である,との神話がすべての学校で教えられていると指摘した,という。

妻と子どもは、9時半過ぎに帰ってきた。すぐにお風呂に入れ、寝室へ。子どもは絵本を持ってきて、「よんで」。

つばさにのったデイジー

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