from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

日本はどこまで落ちて行くんだろうか?

5時頃に目が醒め、トイレ。息子が起きているようだった。

6時半過ぎに起き、モーサテ観ながら、コーヒーを飲んだ。息子はまだ起きていて、寝転んだままiPhoneで動画を見ていた。

7時過ぎに散歩。今朝も晴れ、公園に向かう間、太陽が眩しかった。

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7時45分過ぎに帰ってきて、洗濯物干しと床掃除。

朝ご飯を食べ、8時25分頃からリモートワーク。

息子は10時過ぎに大学に行った。

12時過ぎから昼ご飯を食べ、昼寝して、1時から仕事再開。

1時半過ぎに息子が帰ってきた。

5時40分過ぎに仕事終了。

5時45分過ぎに息子はコンビニのアルバイトに行った。

シャワーを浴び、カルビを焼いて、ヒジキの煮物と漬け物を出して、夕飯。

9時過ぎから、映画『老後の資金がありません!』を観た。身につまされる映画ではなかった。お金の心配より、お金に縛られない人生を楽しもうという内容。

 

日本はどこまで落ちて行くんだろうか?

新型コロナ騒動開始から早3年、「本当にヘンテコリンな社会になってしまったなァ…」と遠くを見る自分がいる。

まさか、「コロナに感染しないことが人生でもっとも大切」と政治家や専門家やメディアが口を揃えて訴えるような時代が来るとは思わなかったし、さらにいえば、マスクとワクチンをめぐって差別と分断が発生するなんて想像もしなかった。

こんなワケの分からない争い、過去にあっただろうか? 争いって、土地やイデオロギーをめぐるものではなかったのか? たかだか顔面に着ける布切れと注射ごときで、どれだけ右往左往させられたか。

まぁ、これも一つのイデオロギーか。宗教をめぐっては歴史上何度も対立が起きてきたから、今回も新種の「宗教対立」と考えればどうにか合点がいく。

人々の行動規範を決めるのは法律ではなく、あくまでも「空気」。法律よりも空気の方が重いのである。それはまさに山本七平が『「空気」の研究』で言及した通りだ。

山本氏はとある編集者とのやり取りで、会社に理不尽な決定をされたことを伝えられたが、編集者は空気に抗えなかったと弁明。それについて山本氏はこう指摘している。

〈 彼は、何やらわからぬ「空気」に、自らの意思決定を拘束されている。いわば彼を支配しているのは、今までの議論の結果出てきた結論ではなく、その「空気」なのであって、人が空気から逃れられないごとく、彼はそれから自由になれない。

従って、彼が結論を採用する場合も、それは論理的結果としてではなく、「空気」に適合しているからである。採否は「空気」がきめる。従って「空気だ」と言われて拒否された場合、こちらにはもう反論の方法はない 〉