from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』を見た

6時過ぎに起床。

今日は眼科に行くために休みを取ったので、コーヒーを淹れ、少しテレビを見てから、日本画の大下絵作り。それからパネル張りした麻紙に大下絵を移す。墨を摺って、少し骨書きを始めたところで、8時半になった。

慌てて支度をして、バス停へ。バスに乗り、radikoで「伊集院光とラジオと」を聴いた。

三鷹駅前の眼科に着いたのは、予約したちょうど9時。受付を済ませ、調査票に記入して、呼ばれるのを待った。

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10分ほど待って、目の検査。この前眼鏡屋で言われたように、レンズを変えても、両目で0.6しか視力が出ないと言われた。予定通り、白内障の検査を受けることになって、またしばらく待った。白内障の検査を受けるとすぐに両目とも白内障だと言われた。その後、瞳孔を開く目薬をされ、15分待って、また検査。白内障の手術をするかと聞かれ、すぐにしてくだいと伝えた。また別の日に来院して術前検査、それからまた別の日に手術説明を受けてから、ようやくその1週間後に手術を受けられるとわかった。瞼が垂れてきて、眼球にかぶっているから、これも手術をした方が良いと言われた。検査が終わって、白内障の手術で入れるレンズの説明を受けた。保険適用での手術は単焦点眼内レンズで片眼で4万5千円、多焦点眼内レンズでは保険適用外で高額になると。

11時頃に眼科を出たが、瞳孔が開いたままなので、眩しく見にくかった。11時半頃に帰宅して、昼ご飯を食べた。

ご飯を食べ終わった時点で、目が普通近くになってきたので、映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』を予約して、12時過ぎにうちを出た。

映画館に着いたのは、上映開始5分前だった。月曜日だというのに、6割程度席が埋まっていた。

1969年に開催されたハーレム・カルチュラル・フェスティバルの模様を伝える映画で、スティービー・ワンダーの歌から始まった。スティービー・ワンダーが動くと、男性がスティービー・ワンダーに日傘を差して一緒に動いていた。観客を写して、画面が変わると、なんとスティービー・ワンダーがドラムを叩いていた。フィフス・ディメンションが出てきてAQUARIUS/Let The Sunshine Inを歌ったが、フィフス・ディメンションを見たのは初めて。黒人グループだとは知らなかった。元テンプテーションズデヴィッド・ラフィンが歌うマイ・ガールも懐かしかった。マヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプルズのゴスペルも、ニーナ・シモンの強烈な歌も良かった。黒人ばっかりのコンサートかと思ったが、バンドや観客にもわすかに白人がいたのは驚き。ハーレム・カルチュラル・フェスティバルに行った人や出演者がこのフェスティバルを振り返って話しをしてたり、この時代の映像が出てきたり、思った以上に良い映画だった。

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2時半過ぎに映画館を出て、買い物をして、3時半頃に帰宅。息子はいなかった。お腹が空いていて、買ってきた鯛焼きを食べた。

日本画の制作の続き。骨書きを済ませ、胡粉の下塗りをした。下塗りが乾いてから、水干絵具で背景を塗った。もう一色水干絵具を重ね塗りをしたが、ちょっと失敗。

7時になったので、一人で夕飯。

息子は9時頃に帰ってきた。息子用にハンバーグを焼いた。