from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

映画「HOKUSAI」を観た

失敗というかなかなか達成できない夢を見ていて、7時過ぎに起床。

テレビを見ながら、朝ご飯。

9時半過ぎに息子が目を醒ました。今日は軽音部聴衆にステージで歌を披露しないといけないので、緊張していると。息子は発声練習をして、11時前に出ていた。

映画「HOKUSAI」をやっていると知って、3時過ぎの回を予約した。

コーヒーを淹れ、「アマンダの影」を読み、1時半過ぎに昼ご飯。

2時半過ぎにうちを出て、自転車で吉祥寺駅前に向かった。

2時50分頃に映画館に着いて、発券し、チケットと体温チェックを受け、手指消毒をして、劇場へ。席は感染防止で一席空けになっていた。

少年時代の北斎か、少年が棒きれで地面に犬の顔を描いているシーンから。江戸時代、浮世絵は幕府による取り締まりの対象で、書店「蔦屋耕書堂」に幕府の役人たちの押し入り、売っている絵を焼いてしまう。「蔦屋耕書堂」の店主蔦屋重三郎はめげずに絵師を支援し続ける。まだ無名に近いときの北斎の絵に蔦屋重三郎は興味を示し、北斎を支援しようとするが、指示されるのが嫌いな北斎は支援を断る。蔦屋重三郎は諦めずに北斎をすでに有名絵師だった歌麿に会わせる。歌麿北斎の絵を酷評する。また写楽にも会わせるが、皮肉れるだけ。書いた絵は売れず、放浪の旅に出る。海岸に行き着き、波に魅せられる。帰ってきて、描いた波の絵を蔦屋重三郎に見せると、評価してもらい、売れる絵師になる。しばらくして、蔦屋重三郎は亡くなった。壮年になった北斎は弟子をもつ絵師になっていて、滝沢馬琴の読物に挿絵を描いていた。後に柳亭種彦という武士の戯作者を知り、種彦の挿絵を描くようになる。種彦の戯作は悪影響を与えるとして、書かないように言われるが、従わず、殺害される。病で倒れて体が不自由になっていた北斎だったが、70歳になって旅に出る。その旅の後、富嶽三十六景を描く。思ったより、絵を描いているシーンは少なく、あまり日本画の勉強にはならなかった。

5時半頃に映画館を出て、井の頭公園に行った。公園内は空いていた。

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買い物をして、帰宅し、買ってきた弁当と惣菜で夕飯。

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膠液を作ったり、墨を摺って骨書きの練習をしていた9時過ぎに息子が帰ってきた。どうだったかと聞くと「走りすぎた」と。一応盛り上がったけど、緊張して、テンポが早くなり、ラップみたいになってしまったらしい。