from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

終戦記念日だった

samso2010-08-15

今朝も早く起きれず、起きたのは7時。部屋を出ても熱気がむっと迫って来なかったが、しばらく居間にいるとじあじあ体が暑くなってきて、扇風機を回した。
息子が起きてきたのは、8時過ぎだった。
朝ごはんを食べあとは、暑くてゴロゴロ。
10時過ぎに妻と息子は知り合いの赤ちゃんを見に行くと言って出て行った。
11時半過ぎに中央公園に走りに行った。工事が全部終わっていた。木陰をつないで走ると2割ほど日向に出るだけだった。アブラゼミの死骸がアチコチに。クマゼミ 、アオスジアゲハ、モンキチョウ、ルリシジミを見かけた。1時間弱走ってバテバテでうちに戻ってきた。妻たちが帰ってきていた。
妻は踊りに行くと言って出かけた。息子がお昼ごはんを食べたと言うので一人でお昼。
息子は、冷房を入れた寝室でマンガを読みふけった。
二重被爆 ヒロシマ ナガサキを生き抜いた記録」を見た。2010年1月に亡くなった被爆者山口彊さんは出張で広島で被爆し、8月7日午後1時発広島発長崎行避難列車で実家がある長崎に帰り、二重被爆した。どうしても後世に被爆体験を伝えたいと年老いてから語り部を始めた。アメリカにも行った。原爆の悲惨さを映画にしたいと言っているというジェームズ・キャメロンに手紙を書いた。去年の暮、キャメロンが会いに来て、映画を作ると約束した。
本を読むために寝室に行ったが、いつの間にか居眠り。
5時過ぎにスーパーに買物に出た。戻ってきて、息子を連れ、中央公園へ。息子は新しく出来た遊具で遊ぶと言っていたが、子どもにとって面白いものはなく、すぐに飽きた。で、もっていったサッカーボールで遊んだ。
 
6時過ぎに帰宅。シャワーを浴びて、夕飯の用意。息子はシャワーを浴びると、またマンガ。妻が帰って来ず、二人で夕飯。
8時から「龍馬伝
妻は9時前に帰ってきた。
9時から『NHKスペシャル 終戦特集ドラマ「15歳の志願兵」』。7人乗りのフィックス艇が出てきた。ボート部に入ったときは、まだフィックス艇があって、練習させられ、すぐにお尻がズル剥けになったことを思い出した。フィックス艇での競技は、昭和43年に廃止になった。それからはナックル艇。そのナックル艇も平成03年に廃止された。今はシェル艇のみ。「先生はうちの息子に死ねとおっしゃるんですか?」「うちの息子も志願します」。「学問がなかったのはこの国です」は今でも言える。