from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

残された小泉チルドレン

日経ビジネスオンライン出井康博:ホステス代わりにされたフィリピン人介護士」から。

受け入れには初年度だけで20億円近い税金が使われる。もちろん、税金が天下り先に流れようとも、受け入れが現場にとって有益ならば問題はない。だが、施設側にとってのメリットはあまりに乏しい。
施設が負担する費用は1人の受け入れにつき、JICWELSへ支払う手数料や日本語研修費で60万円近くに上る。しかも半年ほどの日本語を勉強するだけでは、現場の即戦力にはならない。それでも給与は日本人と同等に支払う必要がある。
また、外国人介護士は日本で仕事を始めてから3年後、介護福祉士の国家試験を日本語で受け、一発で合格しなければ母国へと戻されてしまう。介護福祉士の試験は、日本人でも2人に1人が不合格になる難関だ。外国人が仕事の合間に勉強して合格できるようなものではない。
受け入れ施設としては、せっかく一人前に育てた人材を短期間で失ってしまう。これでは施設のみならず、外国人介護士からサービスを受ける利用者のためにもならない。
それにしても、なぜこの時期に「外国人介護士」の受け入れだったのか。
PAで来日する外国人介護士たちは“小泉チルドレン”と呼べる存在だ。
彼らの受け入れは、自民党が「郵政選挙」で大勝した翌年の2006年秋、小泉純一郎首相(当時)とアロヨ・フィリピン大統領がEPAに合意し決まった。そして翌2007年、安倍晋三政権(当時)の下、インドネシアとの間で同じく介護士らの受け入れを含むEPAが締結される。
ただし、政府にはビジョンなどまるでなかった。EPAで他案件の交渉を有利に進めようと、フィリピン側が求めた介護士受け入れを認めただけなのだ。
2005年以降、日本はフィリピン人ホステスに対する興行ビザの発給を事実上停止した。米国から「人身売買の温床」との批判が出たからだ。その結果、年に10万人近く来日していたフィリピン人女性が出稼ぎの手段を失った。
出稼ぎの送金に依存するフィリピン経済にとっても影響は大きい。つまり、介護士の受け入れには、来日を制限したホステスの“代わり”という意味もあった。
介護行政を統括する厚労省にとっては寝耳に水である。同省は外国人労働者の導入に消極的だ。何とか彼らの就労長期化を阻止したい。