from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

チベット問題(6)

JMM『「状況の質的変化」from 911/USAレポート』

チベットの問題を含めて、今現在でも「反中、嫌中」のセンチメントは「右」から、そして「左」の人たちは「親中」です。この「ねじれ」は、将来的にはアメリカやヨーロッパとの関係で、問題を生んでいく可能性が懸念されます。まあ、隣の国ですから「嫌中」がナショナリズムと結びつくのは、国外から見てもそう驚くことはない(勿論、第二次大戦の歴史評価に関しては問題がありますが)のかもしれませんが、日本のリベラル的な勢力が「既に社会主義の理想から遠く離れた」中国の政権当局に対して、惰性的に、しかも無条件で支持をしているというのは、理解されることはないと思われます。
これに加えて、長野市内での聖火リレーや、今夏の洞爺湖サミットなどで、日本の警備当局が「CNNなどの映像でも明らかなぐらいの過剰警備」をやってしまっては逆効果だという認識も必要です。聖火リレーに関してですが、例えば日本の官邸が「青い服を着た聖火護衛隊」を仮に排除したとして「日本の警備当局」が完全に仕切ってしまったり、あるいは「青い服の中国人護衛隊と日本人警備当局者」が「息のあった秩序」を形成してしまったりしたら、日本のイメージは悪化すると思います。
日本の当局には「混乱は失態だ」という思いこみが強いと思いますが、今回の件では「多少の混乱」があるぐらいの「ソフトな警備」が必要という(そうした臨機応変な例外対応というのが日本の当局には非常に難しいのですが)観点も必要でしょう。
「理念としての自由より、全体の秩序を優先するというなら、日本も中国と同じではないか」というイメージを持たれては、一部の政治家の言う「自由と繁栄の弧」などというスローガンも、「敵味方を分ける都合で」言っているだけで中身はカラ、そう見られててしまうからです。