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子育ての日々の断片を書き綴る

ライブドア事件(2)

JMM「その社会の不得意科目」from 911/USAレポート。

まず不思議なのは、検察当局の行動です。今回の容疑については、例えば匿名投資組合を使った株式交換で自社株を換金していたという件にしても、企業経営の方法論としては全くの子供だましというか、悪質な詐欺と言うか、開いた口もふさがらないような大胆不敵な犯罪です。
どうして犯罪なのかというと、無価値の会社を大きな対価を払って買収することが自社の資産状態を悪化させるからですし、その買収に伴う株式交換のために株の発行をすると株主の一株あたり利益が明らかに減少するからです。日本の企業統治に関しては「企業は株主のもの」ではないという「へそ曲がり」の意見がまだありますが、少なくとも日本の商法も証券取引法も「株主保護」を前提に作られています。
ですから、こうした違法行為を摘発するに当たっては、株主の利益に反する行為があったことを罰して、株主を保護する、あるいは保護できなかった事実について株主に成り代わって企業の犯罪を罰するというのが商法や証券取引法の精神に基づいた「法治」であるはずです。
ですが、今回の「摘発」劇では、経営者の芸能人のような人気がもたらす「風評」のためか相当に買い進まれた株価を「下げる」ために摘発がされたような格好になっているのです。摘発は法に基づくものかもしれませんが、そのタイミングと社会的な効果を考えると、結果的に「株主の利益を損ねたのは検察当局」と言われてもおかしくない事態になっています。まるで株式の発行会社の不正を口実に、その会社の株主に懲罰を加えているかのような行動です。法の精神を生かしているとは言えません。
これでは、金融とか信用というような抽象概念は社会に定着しないでしょう。漠然と当局が全権を持っており、その時代の気分に成り代わって、あるいは政争と絡めた思惑で恣意的に「絶対権力を振るっている」ということになりかねません。
呆れたのは「株式交換」や「株式分割」を拝金主義の悪弊のように非難する声が出ていることです。例えば株式交換というのは、日本の保守的な層の嫌う敵対買収ではなく、平和的な買収の際に無用な資金調達をしないで、買収後の新体制の負担を軽くする手法だと思いますし、株式分割に至っては、株価のケタを下げないと、ボードやチャートが見にくくなるから「一株を二とか十に分割する」だけの話で、誰が得するわけでも、損するわけでもないのです。
ただ、分割に関しては、日本ではまだまだ株式の最低売買単位という規制があるので、意味を持ってしまうという点があるのですが、それでも「分割のある株は上がる」 などというファンタジーのような話題が、現実のマネーゲームの中で意味を持ってしまうとしたら、これもまた子供じみた話に他なりません。
規制緩和とか市場中心主義というのは、「主体性のある個が積極的に他者に働きかけて、お互いに信頼を築いて信用という概念を流通させてゆく」その結果として、「上から強制された秩序」ではなく「名誉ある個が選び取った調和」という「全体の利益=公共性」を追及していく文化だと思います。