YamaguchiJiro.com『小泉首相と財務省のやらせ「対決」に惑わされるな』
公務員人件費の削減や公共事業、農業対策などで従来の政策の見直しが必要なことまでは私も否定しない。しかし、財務省の路線は、必要性の低下した政策を削減して他の重要課題に当てるというスクラップ・アンド・ビルドの発想ではなく、闇雲にあらゆる政策を縮小するというものである。社会保障に関しては、「身の丈」にあったものに抑制するというスローガンのもと、医療費の抑制、介護報酬の引き下げと保険料の見直し(つまり引き上げ)などの課題が列挙されている。地方財政については、交付税の財源保障機能の見直しと総額の抑制、教育については、私学助成の削減、育英事業の規模抑制が打ち出された。
財政の帳尻さえ合えば、国民生活はどうなってもよいというのが財務官僚の本音であろう。そして、小さな政府という呪文に踊らされて、政治家も審議会の学者も、そのような公共政策の破壊に狂奔しているのが現状である。私は何も、社会保障と教育は聖域だと言いたいのではない。しかし、貧富の格差が拡大し、親の経済力によって子どもの教育を受ける機会が大きく影響されているこの時代に、なぜわざわざ育英事業の規模抑制を予算編成の重要事項に掲げなければならないのか、理解できない。今年度予算における育英事業費はたったの一三七八億円である。これを抑制したところで、歳出削減にとっては大海の一滴である。財務官僚や財政制度審議会委員を務める有識者は、貧乏人の子どもは高等教育を受ける必要はないとでも言いたいのだろうか。
政府の大きさと国民負担について、興味深いデータがある。OECDの調査によれば、GDPに対する医療や介護に対する社会的支出の総額のおよその割合は、アメリカ26%、イギリス27%、スウェーデンとドイツ30%となっている。小さな政府のお手本であるアメリカも、大きな政府の代表格のスウェーデンも、医療や介護に対して支払う費用には大差ないことが分かる。これに対して、社会的支出のうちの公的支出は、アメリカ16%、イギリス24%、スウェーデン28%、ドイツ29%となっている(この数字については、駒村康平東洋大学教授の教示による)。つまり、小さな政府のアメリカでは、医療や介護に対して私的に支払う金額が他国よりもはるかに多いことになる。要するに、大きな政府と小さな政府の違いは、市場を通して私的にサービスを購入するか、政府を通して公的にサービスを購入するかという違いであり、負担水準そのものが違ってくるわけではない。そして、市場を通してサービスを購入すれば、必然的にその人の購買力によってサービスの質が異なってくる。極論すれば、命を金で買うことになる。
また、「身の丈」にあった社会保障というならば、むしろ日本では社会保障予算を増やさなければならない。二〇〇二年のGDPに対する社会給付の比率を比較すれば、日本11%、アメリカ12%、イギリス14%、スウェーデン18%、ドイツ19%と、日本は先進国中最低水準である。