from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

昨日、内田樹著『「おじさん」的思考』を読んでいたら、「パーソナリティの発達過程とは、人格の多重化のプロセスである」とあって、

幼児にとって世界は未分化、未分節の混沌である。幼児にとって世界との接点はもっぱら粘膜であり、その対象は人間であれ、食物であれ、「快不快」を軸にカテゴライズされている。
もう少し大きくなると、ある人間と別の人間では、メッセージに対する受容感度が異なることに気づくようになる。コミュニケーションをうまくすすめるためには、相手が変わるごとに、発声法や、言葉使いや、トーンや、語彙を変えたほうがいい、ということを学習する。

と。これは頷ける。ただ幼児とは6歳未満の子どもことを言うのだったら、幼児でも3歳ぐらいになると、混沌ではなく、もう気づき始める。うちの子どもは今3歳8ヵ月だけれど、かなり前から私と妻とでは明らかにコミュニケーションの取り方を変えてきている。端的な例は、妻には中国で話しかけるけど、私には一切しないこと。甘えるような話し方をするのは妻に対してだけ。乗り物の話は私だけで、妻にはほとんどしない。明らかに相手によって話題を変える。ご飯を食べさせてもらいたというときは、妻。お風呂で体を洗ってもらいたいときやトイレでおしりを拭いてもらいたいときは、そのときの気分によって相手を変える。私がやろうとすると「ママがいい」と言ってキッパリ断られるときもあれば、「パパがいい」と言うときもある。

「おじさん」的思考

「おじさん」的思考