4時半過ぎに目が醒め、トイレ。
6時に起床。今朝は天気が良さそうだった。
着替えて、息子を起こすが、なかなか起きなかった。
外に出ると、気温は低めだった。
いつもの電車に乗り、「2001年宇宙の旅」を立ち読み。
駅を出ると、陽射しが眩しかった。
会社に着くと、息子から電話。嫌な予感がして、電話に出ると、「熱が出た」。「何言ってんだよ」と返事をして電話を切った。昨日の夜はPS4でマウスを試すため、ずっとネットゲームをやっていたので、キレた。
クッキーを食べ、コーヒーを飲みながら、「2001年宇宙の旅」。『すわって読むだけしか自由のきかない旅だが、暇つぶしになるものはたくさんあった。公式書類とメモと議事録に飽きたら、大型ノート大のニューズパッドを船の情報回路にさしこんで、地球からの最新レポートを読む。世界有数の電子新聞が、彼の意のままにつぎつぎと現れる。大新聞の符号はすべてそらで覚えているので、パッドの裏側にあるリストを調べる必要はない。表示装置のスイッチを短時間記憶に切り換え、第一面を両手で持って、見出しをざっと捜し、興味のある記事を心にとめる。どの記事にも数字二つの参照番号がついており、数字をボタンで押すと、切手大の長方形の記事が、スクリーンにきっちりとおさまるくらいに拡大されるのだ。そして気楽に記事を読む。読み終えたら、また全ページに切り換えて、ディテールを読む必要のある新しい問題を搜せばいい。
このニューズパッドとその背景にひそむ風変わりなテクノロジイは、完全なコミュニケーションをめざす人間の探求の最後の回答ではないか、フロイドはときどきそんな思いにとらわれる。彼はここ、宇宙空間のかなたにおり、一時間数千マイルの速度で地球から離れつつある。それでいながら、わずか数ミリセコンドで、お望みの新聞の見出しを見ることができるのだ。(「新聞」というその語じたい、このエレクトロニクス時代では、時代錯誤的な遺物である)記事は一時間ごとに新しいものと取りかえられている。たとえ英語版だけを読んでいても、ニューズ衛生から送られてくる絶えまのない情報の流れを吸収しているだけで、一生がすぎてしまうだろう。
このシステムを改良したり、これ以上便利にしたりする方法を想像するのは困難だった。しかし、やがてこれも過ぎ去る時代がくる。それに代わるのは、画すとんやグーテンベルクにとってニューズパッドがちんぷんかんぷんであるように、おそらく想像も絶したものだろう。フロイドはそんなことを思った。』50年前にこんなことを書けるなんて、アーサー・C・クラークはすごいな。
昼間も良く晴れ、最高気温は23℃だった。
5時45分過ぎに会社を出た。
7時前に帰宅。息子は自分の部屋で寝ていた。
麻婆茄子と鶏肉のカツレツと味噌汁を作った。息子が起きてこなかったので、一人で夕飯。
食べ終わった後、宅急便。息子のもの2つだった。ゲーム用のキーボートのようだった。
息子は8時頃に起きて来て、夕飯を食べ出した。「ズル休みしたのか」と言うと「熱が出て、首が痛くて回らなかった」。学校に連絡をしたのか聞くと、学校から電話があったと。
アマゾンプライムビデオで、「2001年宇宙の旅」を観た。ニューズパッドの出てくるシーンを探した。本ではフロイド博士が月シャトルで宇宙ステーションから月に向かうときに使っているが、映画ではボーマン船長らがディスカバリー号で木星に向かうときに、歩いてタブレットを持ってきて、テーブルに起き、宇宙食を食べながら、動画を観ていた。