「フォークであること―高田渡と高石ともや」という動画を観た
3時過ぎと6時過ぎに目が醒め、トイレ。
7時前に目が醒め、7時から「森本毅郎スタンバイ!」を聴いた。
8時15分過ぎに起きた。息子は帰ってきていなかった。
魚肉ソーセージと卵を炒め、コロッケとバナナと牛乳で朝ご飯。
8時半頃から「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」を聴いていたら、小室等がMORNING INSIGHTのゲストだった。小室等の最近のライブはどうかなと思い、調べてみたら、4月25日に武蔵野公会堂で『高田渡歌まつり』に出るとわかり、チケット販売をみてみたら、まだ申し込み可能だったので、申し込んだ。もう一つ「TOKYO MX 開局30周年記念公演 小室等 de 音楽祭(コムロ・デ・フェスティバル) ~コムロヒトシとは何者だったのか!?~」というのがあって、チケットぴあでチケットを確認してみたら、2月28日はまだ申し込み可能だった。これも申し込んだ。
高田渡が気になって、YouTubeで動画を探してみたら、「フォークであること―高田渡と高石ともや」という動画があった。2004年にETVで放送されたものだった。映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』の上映から始まった。その上映会に高石ともやが来ていて、二人が話す。「歌い手の名前とか作った人の名前なんかどこかでなくなってしまえばいい。風化されるんだよ。墓石で一番いいのは名前が彫ってあってね、だんだんそれが風化されて単なる御影石に変わるんだよね。そこまでいってみたいね」と高田渡。高石ともやが商業主義だと批判されるようになると、「東京フォークゲリラの諸君達を語る」という歌を作って、「今はやりの関西フォークはもうそろそろ限界に来たんだとさ 高石や岡林の歌はもう前世紀の遺物だとさ そんなことを言った後にやつらは歌っていた 関西フォークの大昔のレパートリー」と歌っていた。高石ともやが歌うのをやめ、福井の名田庄村で暮らしていた頃の映像が出てきた。高石ともやと奥さんの光子さんが出てくる映像もあって、感激した。
高石ともやを見たので、「宵々山コンサート」の動画も探してみたら、「1995年宵々山コンサート」という動画が見つかった。1970年代に何回か行っていたが、関東に住むようになって、行かなくなっていたが、阪神・淡路大震災があった1995年、ずいぶん久しぶりに行ったコンサートだった。松田幸一、高石とし子、メリッサ&ジョー、三上寛、なぎら健壱、喜納昌吉、京都朝鮮歌舞団、比叡山延暦寺僧侶らがゲストだった。コンサートの最後の頃、喜納昌吉が歌っていると、雨が降ってきて、びしょ濡れになった。









11時半過ぎに昼ご飯を食べた。
1時45分過ぎに買い物代行サポートに行った。
帰ってきて、テレビをつけると、シネマ「ボディガード」をやっていた。「ボディガード」を観終わって、BSスペシャル「市民が見たウクライナ侵攻 家族たちの2年 それぞれの闘い」も観た。辛い内容だった。
4時過ぎに散歩に出た。北風があり、寒かった。


5時前に帰ってきて、コーヒーを淹れ、ドーナッツを食べた。
シャワーを浴び、肉野菜炒めを作って、夕飯。
アナザーストーリーズ 選「あさま山荘事件 立てこもり10日間の真相」、「体感!グレートネイチャー 選 ロマンチック!ライン川 大地激動の記憶」を観た。
息子が8時半過ぎに帰ってきた。
新日本風土記「冬を食べる あの手この手の物語」を観た。