from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

「ヒューゴの不思議な発明」を観た

samso2012-03-17

7時過ぎに起床。息子も同時に起きた
外は小雨。
朝ごはんに蒸し焼きそばを作った。
朝ごはんを食べさせ、突き指も診てもらうように言って、9時過ぎに接骨院に行かせた。9時45分ごろに戻ってきた。
宿題をやるように言うと、やりだしたが、右手が不自由なので、字がちゃん書けないと。
気がつくと12時半過ぎに。昼ごはんの支度。
2時過ぎにうちを出て、映画「ヒューゴの不思議な発明」を見るため、六本木に向かった。小雨の中、自転車で駅へ。六本木駅を出るとしっかり雨。
始まるギリギリに到着。予約しておいたので、マシンでチケットを発券し、劇場へ。3Dメガネをもらって、着席するとすぐに映画予告編が始まった。息子はすぐに3Dメガネを付けて見ていた。
映画「ヒューゴの不思議な発明」が始まった。降っている雪が迫ってくる。カメラが動きながらパリの街中をズームアップしていき、ヒューゴが暮らす駅舎の屋根裏を映し出す。ヒューゴの暮らしぶり、ヒューゴがなぜ駅舎の屋根裏に暮らすようになったのかが語られていく。舞台がパリなのに英語で話されるのに違和感を持った。火事で死んだ時計職人の父が残した機械人形を修復することに望みを託して生きているヒューゴ。機械人形の持ち主だったとは知らずに駅舎で玩具屋をやっている爺さんからねずみの玩具を盗もうとして、見つかり、持っていた機械人形の修復に必要なノートブックを取られてしまう。ノートを返して欲しくて、爺さんの住まいまでついて行って、爺さんを養父とするイザベルと出会う。機械人形の修復は終わったが、父が言っていたように文字を書かない。イザベルがペンダントにしていたハート状の鍵を差して回すと絵を描き出した。月の顔に弾丸のような宇宙船が突き刺きさっている絵だった。ジョルジュ・メリエスと文字も描いた。
息子が傍らで3Dメガネを外し、気分が悪くなってきたと訴え始めた。映画に集中できなくなった。
ヒューゴとイザベルが映画に興味を持ち、調べていくと、ジョルジュ・メリエスが映画黎明期に監督として活躍した人物であったことがわかった。二人は映画史研究家ルネ・タバールに会い、メリエスの家に招待する。最初、メリエスの妻はタバールを拒むが、タバールがメリエスを賞賛すると、招き入れ、タバールが持ってきたメリエスの映画「月世界旅行」を見ることになった。みんなが映画を見ていると、病んでいたメリエスがやってきた。タバールがメリエスを賞賛する舞台を作り、映画は終わった。
ヒューゴの不思議な発明というタイトルは、巷間いわれているように不思議なタイトル。ヒューゴは発明屋ではなく修理屋だった。メリエスが発明屋だった。なぜメリエスが忘れ去られた存在になったのかはあまり語られていなかった。第一次世界大戦だけが衰退した原因ではないだろう。
ポール・オースターの「幻影の書」を読んだ直後にこの映画を見たのはタイミングはよかった。
映画館を出ると、息子が吐いた。息子を玄関先に残して、映画館の係員に入り口を汚したことを告げた。
外はまだ雨が降っていて、寒かった。
夕飯を食べるために、六本木ヒルズ内をウロウロ。結局、蕎麦屋に入った。食べていると、妻から電話がかかってきて、出張から帰ってきてもううちにいると。

8時前に帰宅。