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子育ての日々の断片を書き綴る

「9電力体制」こそが「現代の幕藩体制」

globe.asahi.com経産官僚が仕掛けた電力改革

電力業界は不況時には設備投資を前倒しして景気対策に協力。通産官僚の「天下り」も受け入れてきた。国策の原子力発電は官民一体で進めた。
規制に守られ高収益を維持できた電力業界は、東京電力会長の平岩外四経団連(現・日本経団連)会長(90年12月〜94年5月)に送り出し、各電力会社は、その地域の経済団体トップをほぼ独占した。
力の源泉は、発電から送電・配電まで一貫して担う「発送電一体」にあった。発電所や送電線などの巨額の設備投資と燃料調達を前に、重電メーカーや商社など多くの取引先がひれ伏した。
一方で、90年代のバブル崩壊と景気低迷を背景に、割高な電気代への批判も産業界に出始めた。ところが、「電力側は自己変革しない。その兆しさえなかった」と、村田に仕えたエネ庁の元幹部は振り返る。
「9電力体制」こそが「現代の幕藩体制」であり、このままでは「高い電気代」で日本の競争力が損なわれる。そう考えた村田とその部下たちは電力制度改革に着手する。

01年11月、総合資源エネルギー調査会経産相の諮問機関)の分科会で、家庭まで含めた小売り自由化の議論を始める。自由化の実を上げるため、発送電分離にまで踏み込むかが焦点だった。分科会メンバーだった大学教授は振り返る。「経産省からは『発送電分離でいく』という決意がひしひしと伝わってきた」。当時の公益事業部幹部も「発送電分離につながる電気事業法の改正案の骨格をいろいろ書いた」と認める。
これに、東京電力社長の南直哉は02年4月、家庭まで含めた自由化までは受け入れを表明するが、「責任ある発送電一貫のシステムが日本において役割を果たしている」と述べ、発送電分離を拒否する姿勢は崩さなかった。電力業界は自由化が進んだ米カリフォルニア州で01年に起きた大停電の例を使って、電力の「安定供給」には発送電一体が必要とPRに努めた。

電力業界との緊張が高まりつつあるなか、村田は02年7月、経産省(01年通産省から改称)の事務次官に就いた。直後の8月、大事件が発生する。東電が長期にわたり原子力発電所のトラブルを隠していたことが発覚したのだ。
経産相平沼赳夫は30日の記者会見で「言語道断。自浄作用を発揮することを強く求める」と経営陣の退任を迫った。東電の南は9月2日午後、「全く弁解の余地はない」と苦渋の表情で陳謝し、相談役の平岩をはじめ歴代トップ4人の退任を発表する。
関係者の間では「制度改革への抵抗を抑えるため、村田が4人の首をとった」との見方がある。実際、村田は発覚直後の会見で「独占供給を認めているのに、期待値を裏切る」と、トラブル隠しと地域独占を結びつける発言をしている。だが、周囲には「4人の退任に跳び上がるほど驚いた。トップが辞めるという責任の取り方はおかしい」とも話している。
東電の怒りは激しかった。「トラブル隠しは発覚のずっと前から経産省と相談し、調査にも協力してきたのに、独り悪者にされた」(幹部)からだ。
電力業界は経産省への巻き返しに出る。
京都議定書が求める二酸化炭素排出抑制のため経産省が導入を進めていた石炭への新たな課税制度を、発送電分離に対する「人質」に取ったのだ。
舞台となった自民党エネルギー総合政策小委員会の委員長は、後の経産相で電力族として知られた甘利明、事務局長は東電副社長を経て参院議員になった加納時男だった。自民党議員が「十分議論されていない」といって強硬に反対した。

東京新聞『無警戒4号機も爆発 海水投下−米意識「懸命」アピール』

相次ぐトラブル。東電統合本部から戻った菅は十五日の昼ごろ、首相補佐官細野豪志らに、いら立ちをぶつけた。現場の状況や対応策を説明する細野を「理解でない」と叱責。居合わせた東電幹部に「勝俣会長につなげ!」と叫ぶ。

米側は独自に情報を入手して解析し、プールが冷やせなくなって五日目には燃料棒がむき出しになると予測。既に温度は二〇〇〇度を超え、燃料棒が溶け出すおそれがあるとして「何もしなければ「米国は日本政府を信頼しない」とメッセージを出す」と伝えてくる。

プールを冷やす効果は知れている。だが派手な投下シーンはテレビで中継され、懸命の活動をアピール。菅が米大統領のバラク・オバマと電話会談し、ヘリからの放水を伝えたのは、最後の投下から二十二分後だった。