from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

久米島に着いた

samso2007-12-28

2時間ほどして目が覚めた。なかなか寝られず、4時過ぎに起きた。妻はすでに起きていた。年賀状に簡単なメッセージを書く。息子は5時前に起きてきた。みんなで朝ごはんを食べる。
支度をし、5時50分にうちを出て、下を見るとすでにタクシーが停まっていた。道が空いていて、吉祥寺駅には6時過ぎに着いた。リムジンバスが来るまでまだ時間があったので、駅のコンビニでお茶とお菓子を買う。バス乗り場に戻ると、もうバスが来ていて、待っていた人たちが乗り込んでいた。息子は一番に乗りたかったとぐずって泣いた。定刻の6時20分にバスは出発し、羽田に向かった。
妻すぐに寝てしまった。息子もしばらくは車窓を眺め、おしゃべりをしていたが、寝てしまった。ちょうど1時間でバスは羽田第一ターミナルに着いた。トイレに行ってから、チケットを受け取りに11番の団体カウンターへ。並んでいる人はわずかですぐにチケットをもらえた。荷物検査のゲートは混んでいて長い列。妻に「駅で買ったお茶とお菓子は?」と聞くと「持ってない」。「トイレかも」と言ってトイレに言った。息子と待っていると袋を戻って帰ってきた。飛行機で昼食が出ないので、空弁を買った。息子はバスの形をした箱に入ったカツサンドを選んだ。
また検査ゲートに戻って並んだ。ポケットにケイタイを入れたまま通ると引っかかった。妻はキーボルダーにミニナイフが付いていて、取り上げられた。那覇空港で受け取ってと引換券を渡された。
出発ゲートの飛行機の待合エリアで出発を待っていると声をかけられた。山梨時代の知り合いのTさん家族だった。2年ぶりか。「偶然だね」とお互いに何回も。双子の兄弟は前より痩せて見えた。出発時刻10分前になり、列に並ぶ。妻がTさんに朝甘えることを伝えると怒って口元をパンチ。妻が叱ると泣いた。なかなか誤らず、ぐずったままゲートを通った。Tさん家族は先に行き、別れの挨拶ができなかった。
飛行は40分ほど遅れて離陸した。午後から雨の天気ではあったが、まだ薄く日がさしていた。羽田を発ってしばらく下を眺めていると雪をかぶった富士山がよく見えた。

10時半ごろ、お腹が空いたので、買った弁当を出して食べる。妻は食欲がないと言っていたのに全部食べた。息子はカツサンドを2つ食べた。
11時過ぎ、沖縄に近づくにつれ晴れてきて、奄美列島が綺麗に見えてきた。

浅瀬が薄い水色でうっとり。定刻より、15分ほど遅れて那覇空港に到着した。すぐに乗り換えないといけないので、21番ゲートへ。12時15分ごろ、ゲートに着くと、こちらも出発時刻が遅れていた。厚いので、息子と一緒にTシャツ一枚になる。しばらく待ってゲートを通過し、飛行機の搭乗口へ。パイロットの姿が見えたので、息子を抱っこして見せると、パイロットが手を振ってくれた。
飛行機はボーイング737で座席が狭い。飛び立ってすぐに慶良間諸島が見えてきた。あっという間に、久米島空港に着いた。荷物を拾い、すごい狭い空港を出て、タクシーでホテル「サイプレスリゾート久米島」に向かう。5分ほどで到着。小さいホテルだった。全体からリメイクされたホテルだと分かる。玄関を入って右に行くとフロント。他に客がいないように静か。部屋に案内され、窓の外を見ると、眼下にプールと綺麗なビーチが見えた。

ホテルの売店でビーチサンダルを買い、タクシーを呼んで2時間ほど観光することにした。観光名所の上江洲家、五枝の松、おばけ坂、ミーフガー、宇江城城跡に行って、ホテルに戻ってきた。久米島の人口はピーク時約1万3千人だったが、今は約9千人。畑はほとんどサトウキビ。たまに牧草。子牛を飼って育て、本土の有名なブランドの酪農家に売るそうだ。かつてはコメやパインも作っていたが、もうからないのでみんなやめたとか。


ホテルの部屋に戻ると妻は寝てしまったので、息子と二人でホテルの前のビーチへ。砂浜にはサンゴのかけらと貝殻がいっぱい。穴がいっぱいあいているが、生物の姿は見られない。サンゴの岩に登って、水面下をしばらく眺めていると、砂色をした魚とエビがいることが分かった。息子は魚を捕まえると張り切っていたが、ズボンをぬらしただけ。1時間ほどすると夕日になってきたので、部屋に戻り、妻を起こした。夕日が沈んでいくさまをしばらく眺めた。


6時半に同じタクシーを呼んで、民謡酒場に連れて行ってもらった。チャンプル、ソーキ蕎麦、天ぷらなどを注文し、生ビールとシークワサーのサワーを飲んだ。8時になって、店のご主人らしい人が着物姿になって、三線を弾き、カウンターにいた女性が太鼓を鳴らして、にぎやかに始まった。店にきていた客ものって来ると、踊りだした。9時頃、ホテルに戻ってきた。