from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

戦後

ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」から。

敗戦後の軍の規律は崩壊し、本土に駐屯していた兵士たちは群れをなして部隊から離散してしまった。運べる限り大量に軍の貯蔵品を略奪し、よろめきながら家にかついで帰った者は一人や二人ではなかった。・・・生還を期待せず、崇高なる指名のための出撃を覚悟していた特攻隊の生き残りたちでさえ、戦争が終わったと聞くと無秩序な物資の奪い合いに飛びついた。ある特攻隊の飛行士は、降伏を知るとさっそく、自分の飛行機に軍事物資を満載し、自分の実家に近い飛行場まで飛んでいき、盗品を荷車に乗せて家まで運ぶと、飛行場まで引き返して、飛行場に火をつけた。天皇の忠良なる陸海軍兵たちは、一夜のうちに利己主義と我が身大事の悪しき象徴へと変身したかのようであった。下士官も将校たちも軍需物資の略奪を実行した。ときには大規模な略奪もあった。
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敗戦後の日本では、弱者にたいする冷酷ぶりはとくに目立った現象であった。新たに「まともでない」とみなされた人々は、例外なく汚名のトゲに刺された。それは、放射能の痕跡―露骨にいえば汚染―を身体におった広島・長崎の生存者や、「まともな」社会に入れてもらえず、自分の智恵ひとつで生きるほかない戦争孤児や浮浪児たちであった。また、元来日本の社会は、男性といっしょに暮らしていない女性、とりわけ貧しい女性にたいして冷淡であった。生きていかなければならない戦争未亡人たちや、上野公園のような公共の場所にたむろする家のない復員兵や、その他行き場のない人々も、そうした冷遇された人々に含まれていた。