from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

映画『世界が食べられなくなる日』と『終戦のエンペラー』

samso2013-08-03

息子を7時半に起こして、朝ごはん。
朝ごはんを食べ終わって、ごろっとしていた息子に宿題を始めるように促した。
息子が塾に持って行く弁当の用意をして、9時過ぎにうちを出て、渋谷へ。
アップリンクで、GM食品と原発事故で食べ物が汚染されることを警告する映画『世界が食べられなくなる日』を観た。参加した脱原発デモが出てきた。GM食品の動物実験については、『仏ルモンド紙「モンサントの遺伝子組み換え食品に毒性の疑い」』にある通りの報告。

メスには乳房に腫瘍、オスには肝臓や腎臓障害、そして両方の性で寿命の短縮・・・ Food and Chemical Toxicology誌の次号に掲載される予定であるカーン大学の生物学者ジル・エリック・セラリーニが行った研究が物議を醸している。と言うのも、ラットを対象に行ったこの研究は、モンサント社が商業化している遺伝子組み換えトウモロコシ(別名NK603)の摂取が、(遺伝子組み換えトウモロコシが耐性を持たされている除草剤ラウンドアップとの組み合わせのあるなしに関わらず)有毒な効果を持つと初めて主張するものだからである。

渋谷のひもの屋でお昼を食べ、吉祥寺に戻り、『終戦のエンペラー』を観た。プロデューサーの奈良橋氏がこの映画に出てくる関屋貞三郎氏の孫、主役といえるフェラーズ氏の家族が映画に関与してしているようで、ちょっと甘い内容だった。この映画をドキュメンタリーのように捉えられることが心配。
ジョン・ダワーが「敗北を抱きしめて」で、

マッカーサーとその側近たちは、天皇の戦争責任ばかりでなく、天皇の名において残虐な戦争が許されたことにたいする道徳的な責任さえも、すべて免除しようと決断していた。(略)天皇の道徳的責任は明白であった。ところが、この天皇の責任について、アメリカ人が単に見て見ぬをふりをしただけでなく、否定さえしたために、「戦争の責任」という問題の全体が、ほとんど冗談になってしまった。(略)
こうしたアメリカ側の決断や行動は、多くの結果をもたらした。勝者のこうしたやり方が影響して、いわば矛盾撞着した表現が根づくことになった。いわく「官僚制民主主義」、「天皇制民主主義」。東京で開廷された戦争裁判で、陳列棚の見世物のように、ほんの少数の武官・文官の最高指導者たちが戦争犯罪者として有罪とされるという特殊な方法がとられ、その一方で天皇に対してはこびへつらうような処遇がされた。そのため、日本が領土拡張と国家安全を狂気のように追い求め、その過程で日本民族の男たちが他の人々に対して行ったことは忘れてしまおうとする、大衆の根強い傾向が助長された。
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マッカーサーをめぐる有名な話の多くがそうであるように、天皇が自分の一身をもって戦争責任を負うと述べたというのは、ひいきめに見ても、天皇の実際の発言を飾りたてたもののようである。そう思われる理由は、会見の直後に作成された詳細な会見録が三十年後に日の目をみたからである。会見録の筆者は天皇の通訳をつとめた奥村勝蔵で、それによると会見の実際はどちらかというと内務省の発表に近い。天皇が戦争責任をとると申し出たという記述は、非公開を前提に作成されたこの会見録にはまったくない。
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フェラーズとポワーズが天皇に敬礼すると、天皇はお辞儀をして二人と握手した。
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フェラーズや他の西洋の分析者をあれほど幻惑した天皇崇拝は、そのほとんどが、日本の言い方でいう「建前」でしかなかったかのように思われた。ひとたび敗戦が現実のものとなり、軍事国家が崩壊すると、天皇制と国体に関する限り、ふつうの日本人の「本音」は、おだやかな愛着か我慢、あるいは無関心にさえ近いものであることが明らかになった。

と言っているのと相容れない内容だった。
戦争責任を明確にしなかったことが、「集団的自衛権の行使を容認」などと言わせる原因になっていると思われる。
4時半頃に帰宅。うちにいた息子はサッカーしてくると外に行った。その間に昼寝。
6時に起き、息子の希望で、「味の民芸」に夕飯を食べに行った。息子はつけ蕎麦と天丼を食べた。
息子と別れ、スーパーに寄ってから帰宅。息子はマンションの中庭にいた。
8時半過ぎから今日中にやらないといけない宿題をダラダラ始めた。何回か休憩し、終わったのは11時過ぎ。寝たのは12時前だった。