from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

三兆円支払います

東京新聞在日『米軍再編マネー』負担 日本は現金自動支払機?」。

在沖縄米海兵隊のグアム移転経費問題で、約七千百億円の負担に驚いていたら、実は在日米軍再編で日本が負担するのは、六、七年間で総額約二兆九千八百億円にもなるらしい。ローレス米国防副次官が二十五日、初めて明らかにしたが、これも「控えめな試算」(同副次官)だそうで、経費はさらに膨らむとも。
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「米国は日米同盟について『責任分担から権限分担へ進むときだ』といっている。米国の世界戦略に主体的に参加せよという意味だ。しかし、問題は、これほど大切な選択が国民に問われることなく、なし崩しで進んでいることだ」
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イラク戦争で費やす米軍の年間戦費は約五百八十億ドル(約六兆六千億円)。米国には少しでも負担を同盟国に課したいという理由があるが、日本側にはカネを払う理由がない」。
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「日米間の政治家レベルの交流は希薄かもしれないが、制服(軍人)レベルは活発だ。米軍はすべての情報と兵器を結ぶネットワーク戦争型の再編を進めており、日本の自衛隊はその中に組み込まれている。行き着く先は自衛隊の米軍への統合だ。これは現行憲法では違反になる。だから、大きな声で語られていない」
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「高速道路を全部無料にして、耐震偽装問題の被害者を全員救済してもおつりがくる。政府は消費税引き上げで充当しようとするだろうが、山のように積まれた米国債を叩(たた)き売って払えばいい。『占領軍』が引き揚げるのにカネを払う国なんて聞いたことがない」

沖縄タイムス社説「[米軍再編日本負担]何かおかしくはないか」

グアムでの費用について米政府内には「将来の日本(自衛隊)のためのものだ」とする声もあるという。これはグアムの基地を米軍と自衛隊の共同訓練に用い、自衛隊を米軍の後方支援体制の中に組み込む動きといっていい。
米軍はこれまでも「リスクとコスト」というバランス論で私たちに理解を求め、「応分の負担」として巨額の拠出を求めてきた。それが〝思いやり予算〟として機能してきたことも忘れてはなるまい。
今回の日本負担分についてローレス副次官は「大まかで控えめな試算」としているが、裏を返せば「経費はまだ膨らむ」ということを暗に示したということもできる。国民の理解が得られない負担は日米同盟をも危うくすることを米政府は肝に銘ずるべきだろう。

JMM『「三兆円の意味」from 911/USAレポート』。

本当に毒素処理に二兆円以上がかかるのでしょうか。そうではない、ということも考えられます。その中に、在沖縄の戦力の交替として配備される自衛隊関連の費用も入っているということもあり得る話です。そうなると話は違ってきます。自衛隊の配備費用ということになれば、これは防衛費です。防衛費が何兆円も一時的に上乗せされるということになると、日本国内の財源論議も暗礁に乗り上げる可能性もありますし、周辺国にも刺激を与える可能性があります。
例えば海兵隊が出て行く代わりに、東シナ海における日本と中国の軍事力は確実に対峙関係の度合いを増すことになるでしょう。構造としてそうなのですから、その配備費用を正面切って言うということは出来れば避けたい、そこで「国内関係の再編費用」としてウヤムヤにしようという発想や、とりあえず環境の話にしようという発想があるのかもしれません。
ところで、この三兆円の問題は、日一日と既成事実化しているようです。小泉首相はこの件では「臨時増税はしない」と言ってみたり、自分は退職金を辞退すると言ったり、何となく「大きなカネが出ていくのは仕方がない」という雰囲気作りをしているようです。退職金の話は地方の首長に対して「あなた方も辞退したら」とプレッシャーをかけるためだと報道されていますが、この「三兆円問題」も心理的には意識してのものだと思います。
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官邸筋からは「移転対策関連の法律は今国会では見送り」という話も出てきています。相手のある話で、既にコミットをしている話なのに、 その是非を問う論戦はポスト小泉の手に委ねる、といういうわけです。消費税の税率もそうですが、難題、しかも具体的な難題を片づけて去るのではなく、逆に「次」に押し付けて行くというのは出処進退のありかたとしては、何ともお粗末な限りです。
いずれにしても、イヤイヤながらではありますが、日本は「三兆円」を呑んだ形になっています。とにかく、どうしてこんなことになるのでしょう。額の大きさもともかく、その内容を曖昧にし、しかも交渉当事者の内閣ではなく、論戦は次の政権に先送るという奇妙な対応になるのは何故なのでしょう。
その背景にあるのは史観の分裂です。日本は、今では国内ではナショナリズムが巻き返しており、日本という国を「第二次大戦の敗戦国家」として位置づけるような見方は、自虐史観などといわれて不評になっています。単に不評なだけでなく、もはや時間が解決してくれており、日本は「普通の国」になった、という「実感」も出てきているのではないでしょうか。イラクへの自衛隊派兵などという二十世紀中には想像もできなかったようなことが行われ、それが既成事実化する中で、そうした感覚が定着しているようです。
ですが、国境を一歩外に出ると、事情は違います。依然として第二次世界大戦は「最終戦争」であって、二度と世界大戦を起こさないという国連の設立の目的が信じられています。国連安保理の常任理事国にしても、第二次大戦の連合国の顔ぶれと全く変わりません。中国とロシアは戦後に政体の変更を経験していますが、戦勝国のステイタスはしっかり維持しています。そしてそのことに誰も異議を唱えるものはありません。