from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

隠蔽体質

信濃毎日新聞臨界事故 また隠ぺい、の深刻さ」。

99年6月の志賀原発1号機では、検査中に作業の手順を誤り、制御棒3本が抜けて局所的に臨界状態になった。緊急停止用システムも働かず、手動で制御棒を挿入するまで、15分の臨界が続いた。
速やかに国に報告し、原因究明と対策を取るべきだった。怠ったため、約8年もの間、問題点が多くの原発関係者に共有されなかった。
しかも、現場ぐるみの隠ぺいだったとされる。発電所長らが協議の結果、報告しないことにし、運転引き継ぎ日誌にも記載されなかったという。事実関係を究明し、責任の所在を明らかにする必要がある。
今回、隠ぺいが明るみに出たのは、東京電力東北電力の緊急停止隠ぺいが報道されたのを見た社員が申告したのがきっかけだ。保安院から「3月までにすべてを洗い出せ」との強い意向が伝えられなければ、この事故は闇の中から浮かび上がらなかったかもしれない。

福島みずほの国会大あばれ「2007年3月19日志賀原発を視察

1992年6月18日の午前2時過ぎに事故が起きたとき、制御室には、当直の人が4名いた。
そして現場には補修の人が1名ないし2名、そして日立製作所の人が4ないし7名いた。事故があったすぐ後、所長(当時は北陸電力の支店長)、次長(原子炉主任技術者)、発電課長、当直長などが集まっている。
炉内中性子束モニタの記録は、最高値を示し、針が振り切れている。
これを見ると臨界を疑わせる。
しかし、これに「点検」と言う文字が書きこまれている。
そして驚くべきは、「引継日誌」である。
今は2交替であるが、当時は3交替であった。
朝8時半に引き継ぐのだが、この引継日誌には、異常は何も起こらなかったことになっている。
運転状況は、「原子炉停止中」とだけ書かれている。
後の記載は、なしとだけ書かれている。
点検中ということで、停止中と説明している。
全くの偽造である。
そして、この日誌には、次長、課長、当直長の印鑑が押してある。