from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

預言者ムハンマドの風刺漫画(5)

JMM『「父の言葉」オランダ・ハーグより』。

漫画の話には、デンマークのメディアよりもほかのヨーロッパの新聞のほうが計算高く飛びついたようです。漫画を載せた新聞社の編集長たちがそれぞれBBCのインタビューに答え、それぞれ「わたしたちはデンマークに追従して掲載したわけではないのです。この事件はすでに立派な政治ニュースであって、だから正しく議論をするためには問題の絵を見ておかなければならない。そういうジャーナリストとしての使命で載せたのです」と言っていました。BBCはさらに「ではみなさん、示し合わせて載せたのですか」と畳み掛けたが、「いえ、独自の判断だったです」という彼らの答えはまさに抜け駆けして一発当ててやろうと言う編集長の野心を思わせる。
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レバノンとシリアで大使館に火がつけられたとき、デンマーク外務大臣は、大使館は治外法権なのだ、受け入れ国はきちんと保護してほしいと抗議した。「外交関係に関するウィーン条約」の22条(公館の不可侵)というやつであります。レバノンは遺憾の意を表したが、シリアやイランは市民の行動を抑えることなくほったらかしにしていたので(ライス米国務長官はけしかけたとも言っていた)、ヨーロッパ諸国は抗議しています。わたくしは清朝末期の義和団事件を思いだしたが、あのときも清国政府は知らぬ存ぜぬを決め込み、民衆が暴れるままにしておいた。つまり国家にとって、ときにはこういう外部の事件は国内の不満をすり替えるチャンスなので、彼らはこの機会を巧みにとらえただけともいえるわけであります。彼の国々の政府の怠慢というよりも、漫画がそういう機会を与えちゃったともいえるのであります。
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要約するならば今回の漫画事件とは、社会の底辺に住み、すがるものを求めて祈るモスリムたちを、社会の底辺に住んでおらず、すがるものも求めていない、すなわち恵まれたひとたちが恵まれていないひとたちをからかったということではないか。それは簡単に言えば弱いものいじめであって、もともと起きる必要のなかった事件だったのだ、とわたくしには思えます。
コフィ・アナン国連事務総長がこの問題について「言論の自由とは、相手の信条を尊敬することでもあるのだと思う」と述べておりました。「尊敬する」というところを彼は worshipという言葉を使っていたが、それは「崇拝する」「敬う」ほどの強い意味がある言葉であります。ル・モンドの社説も「フランス共和国では国民は人種、宗教を問わず、平等である。国家は彼らの信条を尊重する」というフランス憲法第一条を引用しながら、言論の自由のためにはときには口を慎むことも必要なのだと論じておりました。

靖国神社参拝問題とよく似てる。