from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

偶有性とセレンディピティ

茂木健一郎さんの講演から(4)。

脳の中の神経細胞がスモール・ワールド・ネットワークだということが知られている。スモール・ワールド・ネットワークとは、5個から6個のノードもしくは5人から6人の知人を通れば、世界中の人にたどり着けるというもの。
ネットワークというのはレギュラーな構造もありうる。この場合には、遠く離れた点に行くためには、距離に比例するだけの数だけのノードを経由しないといけない。これに対してランダムなネットワークだと距離は意味がない。距離に関係なくある程度ステップでいける。興味深いのはその中間にあるスモール・ワールド・ネットワーク。半ば規則的で、半ばランダムなネットワーク。まさに偶有性。
脳科学の最大のターニングポイントが偶有性。つまり生物が生きていくうえで、情報を完全に得られないランダムなプロセスが半ば規則的で半ば偶然的な形で脳の中に入ってくるという状況の中で、脳がどうやって生きていくかということをいかに理解するかということが最重要課題だ。
偶然という関係で考えると、重要な概念がセレンディピティSerendipity)。セレンディピティは、イギリスの首相ロバート・ウォルポール(Robert Walpole)氏の息子ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)氏が発案した造語で、偶然幸運に出会う能力という意味。
なぜこのセレンディピティが注目されるか。最も論理的で厳密な検証をするはずの科学における大発見が、厳然たる歴史的事実として、セレンディピティによって駆動されてきた。
実際、ノーベル賞を受賞した日本人4人のうち3人はセレンディピティによるもの。小柴氏の場合、原子核の中にある陽子の崩壊を実験していた。ところが1987年に大マゼラン星雲で、1000年に1回起こるか起こらないかの非常に貴重な超新星爆発が起こって、それがたまたま、カミオカンデの中を通ってしまったことがきっかけとなって、ニュートリノ天文学という新たな研究分野を開拓し、ノーベル賞を受賞した。つまり、陽子の崩壊現象というAを探していたからこそ、ニュートリノというBに出会うことができた。
このようなリスクテイキングビヘイビアがないと、大発見はできない。
まったく偶然ではなく、ウォルポール氏がいったように、幸運というのは準備ができたマインドに訪れる。セレンディピティにはコントロールできる部分がある。まず、アクションをしないといけない。最近、ニートが社会問題になっているが、彼らからよく耳にする「人生の目的や目標がないから何もやる気が起こらない」という主張のどこが間違っているかというと、目的や目標は何でもよい、要するに行動しなければBには出会えないということ。
勘違いしないでほしいのは、Aを実現するということも重要。Aを実現しようと思ってAを実現するというのは通常の業務であって、それは全体の9割以上を占めているかもしない。科学においても技術においてもビジネスにおいても、新局面をもたらすような画期的な研究や発見は、実現しようとしていたAでなく、偶然出会ったBであるということ。
もっとも、Bが起こったときにそれに気付いて観察しなければ、Bを見つけ出すことはできない。そしてこれは論理ではない。Bに出会うためには、今までの自分の仮説をいったん忘れ、心を無にしてじっくりとその対象物を見つめなければいけない。そして、観察したら理解しないといけない。
どうなるか分からないという偶有性にみちた事象が我々の創造性の源泉である。
不確実性の脳科学のもとで、偶有性とか不確実性が我々の生命を脅かすような要素でもあるが、一方で、我々にとって大切な創造性とかの源泉になっているということを考えるときに、社会学的な文脈で考えたときに、多様性が大事だと思い至る。つまり、セレンディピティがあるためには、我々の社会、ないし情報空間の中には多様なものがないといけない。
感情というのは、不確実な状況のもとでは多様になる。多様性があるからこそ、セレンディピティがある。何もないところには、セレンディピティは起こらない。
いろんな多様性があるということが豊かな社会を作る。