from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

悲劇のドラマ

東京新聞「『海抜ゼロ』危機感薄く」。

八月二十八日、日曜日。カトリーナニューオーリンズ市直撃の予報を受け、ネーギン市長は、朝から焦っていた。
海抜ゼロメートル以下の湿地にある同市は、“命綱”の街を取り巻く堤防で「水と戦う」歴史をしのいできた。しかし、専門家によると、北部ポンチャートレーン湖の堤防は「中程度のハリケーンにしか耐えられない」。決壊すれば街の大半は水浸しになると、以前から警告されていた。
そこを、今まさにのみ込もうとしているカトリーナの勢力は、最大級の「カテゴリー5」。市長は「一生に一回のハリケーンだ。早く逃げて」とテレビなどで呼びかけ、強制避難命令を出した。
だが、四十八万市民のうち、約十万人が家に残ってしまった。黒人が多い同市の貧困層の割合は全米平均の三倍の28%。鉄道など公共交通機関もない中、車も、ホテル代もなく、家に残らざるを得なかった人々も多くいたようだ。
そして月曜日、朝。ハリケーンは街を去り、大きな被害がなかったことに一時は安堵(あんど)感が漂った。だが、ポンチャートレーン湖の水位は徐々に増し、その日午後、水は静かに堤防を越え、街に流れ込み始めた。流れはやがて滝となり、堤防は決壊した。
「恐れていたことが起きた」。市の関係者や地元の国会議員は連邦緊急事態管理局(FEMA)に、救援要請した。しかし、海抜ゼロメートル以下の街の現実に疎いFEMAの動きは鈍く、火曜、水曜日になっても救援の中心部隊は地元の警察、消防隊に限定。ドームなどの避難住民にも連邦政府からの救援はなく、車いすに座ったままの老人が死んでいった。
木曜日。業を煮やした地元政治家たちは、テレビで連邦政府をなじった。「いいかげんにしろ。黒人ばかりだから助ける価値がないのか」
ブッシュ大統領がやっと現地視察に出たのは翌金曜日の朝。軍の輸送部隊も救援物資とともに到着した。堤防決壊から既に四日がたっていた。